【短編】What’s the Frequency, Kenneth?

【短編】What’s the Frequency, Kenneth?

「ねえ、ラジオをつけて」
「頼むから耳元で叫ぶのをやめてくれ」

アキオは目を瞑った。彼の耳の中には低い音が渦を巻いていた、下降する渦だ──流れはありもしない場所へと続いている、渦の中央には空間がある、それは空から繋がっているはずだとアキオは信じていた。ケネスはハンドルに手をかけたまま、眠りたい気持ちと戦っている──「なあ、俺はクスリやってんじゃないんだから、ね、それだけは信じてくれても良いと思う。ただ、瞼の裏側に蝶々の残像がこびりついていけない! それだけなんだ、ただそれだけ──目を瞑ると滲んで黒と掠れて消えていく。でも水分を含んで滲んでいるのとは違うんだぜ? 乾いたまま滲んでいくんだ、まるで電気みたいに」アキオは何度も瞬きをした。ケネスはもう一度アキオに言った。

「陰性残像に頼らず現実を睨みなさいよ。早く周波数を合わせて」
「だめだ、トンネルの中に入ったらラジオなんか聞けやしない、見ろよ君が車を運転したら、進む速さによって鏡の中で飛ぶ蝶の揺れ方が変わる、真っ当なことだろう? 重力の動きによって変わるんだ、抵抗で羽は震えるんだからな。でもこれらは景色を無視して飛んでいく。俺をバカにするなよ?」
「ねえ、周波数を合わせて、静かになってちょうだい。ただあなたには人の話を聞いてほしいだけなの、私ったらいやみや何かで言っているんじゃないのよ。だから、幸せな現実を見るためにもね、少しずつ幻想から離れてちょうだい、悲しくてビリビリなのはわかるの。でも、この車が飛び始めたら、あんたみたいなのろまは置いてかれちゃうでしょう」
「俺シートベルト付けてんだから」
「私が降ろしてぶっ飛ばすってことよ」
「頭おかしくなったのか?」
「キチガイの夢を見てるのはあんたよ。狂った夢に服が刺さっちゃってるから動けないでいるんだわ、悪いことなんかじゃないの。誰かを困らせたりしているわけじゃない。それにあなたは良い子。悪いことは言わないわ、ただもう少しだけゆっくりと人の話を聞いてほしいの。あなたに必要なのは他人にぶつかって自分の形を覚えることなの──」
「なあ、君の服の色はおかしいよ、普通の緑じゃない。中途半端に綺麗な川の岩に生えている藻の色で、太陽で本当の色を見せるような緑じゃないか。蛍光灯だとくすんで見える。暴力的だ、どこで買ったんだ?」
「どこだっていいでしょ、トンネルだから窓閉めて」
「トンネルの中に入ると…」
「緑色の蝶々でも飛ぶんですか?」
「いや、」
「あんた運転してないんだからそのまま目を瞑っていなさい、トンネルの中じゃオレンジの光が点滅するから、そうしたらまたおかしくなっちゃう」
「瞑った」
「トンネルの光が裏返って裏返って、色が変わったら手を挙げて。喋らないで──何色? ピンクだったら左、緑だったら右──首振ってちゃわからないでしょう。他の色? ──もういいわ。好きにしなさい」
「水色の蝶が飛んだ。他人の叫び声が聞こえるんだ、トンネルの中を走っていると、望遠鏡の中にいるみたいだ」
「なんで叫び声が聞こえるの」

アキオは先週だけで二十ほどの嫌な経験をしていた。そして今朝、決定的な流血が彼にとどめを刺した。アキオは再び昔のように殻を貼り合わせて閉じこもっている、とケネスは理解していた。

「片隅に何人も聴き逃した人が住んでいるから」
「脳みそのことを言っているわけね。ラジオをつけて」
「周波数がわからないんだよ。思い出した、あいつ言ってたんだよ──不快だったから何もかもめちゃくちゃにしようとしたんだって。無関心とはまるっきり違うわけだよ。笑いながら、彼女は言った。本当に漫画みたいな笑い方だったんだ。歯には歯をって言った」
「誰?」
「アヤネちゃんだよ」
「あなた彼女が元気でいるうちに会っていたの?」
「そりゃそうだ。昨日一緒のシフトだったのも僕だ。彼女はぐちゃぐちゃになる直前まで綺麗だったに違いないよ。僕はさ、アヤネちゃんが好きだったんだよ。あんなめちゃくちゃになってしまう前、彼女は素敵だった。だって、ピンクの靴下をいくつも持っているんだから。それにぶかぶかのトレーナーを着てた、僕もひとつ貰ったんだ。ほら、誕生日に彼女にプレゼントをあげたから。そしたらもういらないからって野茂英雄のトレーナーをくれたんだ。まさにアメリカって思ったね、それからだ、僕がアメリカに憧れ始めたのは。去年の秋だ──」

ケネスはアキオを話すままに放っていた、死んだ者について思い出していっぱいになっている人間と話すとドジをやってしまうというのが常であるからだ。それに、ケネスはアヤネちゃんが死んでしまったと信じていた訳ではなかった。四車線の道路の真ん中に血痕があり、その周囲に彼女のつけていたパールのネックレスが散らばっていた。パールのネックレスをアヤネちゃんのものだと断定したのはアキオだった。彼はストーカーと言って良いほどに彼女を愛していたから間違いなかった。それにケネスも見覚えのある彗星を模したピアスが耳たぶと一緒に落っこちていた。それだけだ、アヤネちゃんの死体はなかった。轢き逃げとされているが、嫌に露骨すぎるというのがケネスの直感だった。咄嗟に死体を隠すことができるような人間がピアスやイヤリングを置いていくだろうか?

「アヤネちゃんなんだけれど昨日の夜中にさ、見たんだよ俺。パチンコ屋の屋根に登って、彼女は看板のネオン管を割っていたんだ。ケネスはネオン管を割ったことがないだろう? きっとないはずだ。あれ、煙が上がるんだぜ? そんなのを見たら気になるだろう、通り越しに目で追っていたんだ、そしたらするするパチンコ屋さんからおりてきて、次はガソリンスタンドよ、ちゃんと事務所に店員みたいなのいるのに、あいつったらガソリン料金書いてるランプをぶち砕いたんだ」
「頭おかしいんじゃないの? どうしてアヤネちゃんがそんなことするのよ? ちょっとギャルなだけでいい子だったじゃない?」

ケネスはまさかアキオが彼女を殺したのではないかと疑っていた。何せアキオはこの間まで完全な引きこもりであった割には最近おかしな行動ばかりしているからだ。気が狂っているように見えるのは不幸が重なりアヤネちゃんまでいなくなってしまったからではないのかとケネスは今確信しかけていた。かの男は以前から狂っており、おかしなことばかり考えていたのでアヤネちゃんまでぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。

「彼女は期待で殴りつけていた」
「あの野球部みたいな青い水筒で殴りつけていたってわけね。それ、店長の大切なものでしょう?」
「どうでも良いだろう? 店長だって煙みたいにどっか行ったままじゃないか」
「なあ、俺は本当にわかんないんだよ、夜中の3時に飲屋街のネオンをそのあと5軒分破壊したんだ。怖くなって帰ったよ」
「ねえ、警察の人にはその話はした?」
「いいや」
「待って、あなた何してたのよそんな夜中に。バイト9時に終わったでしょう」
「別に何もしてないよ」
「嘘を言いなさいよ、あんた引きこもりのくせに川底の藻だなんて言ってたわね、聞き逃しちゃいないのよ」
「そんなこと川へ入らなくてもわかることだろう?」
「あんたまたあの馬鹿なインド人と一緒に川に入ったのね」
「バングラデシュ人だ」
「どっちでも同じことよ。どちらにせよ、多摩川で沐浴したって何にもいいことなんかないんだから、あの川、夜中底の方が光ってるの、それだからこの辺でおかしなことばかり起こるのよ」
「バングラデシュ人って沐浴なんかしないだろう。知らないけど、インドだけじゃないのか? ありゃヒンドゥーの何かしらだろう」
「もしかして、夜な夜なあんたたちが懐中電灯をつけて泳いでるの? 私、神社の階段からあの兄弟が出てくるの見たことあるのよ」

アキオは目を瞑っていた。ケネスはそのせいで彼が何を考えているのかを掴めなかった、ただトンネルのオレンジのランプが長いまつ毛に影を作り動かし回っていた。

「なあ、僕らが潜りに出かけるのは3時前ってのが相場だ。そんな時間にケネスは川縁で何をしていたんだ? あの階段の下に神社があるのを知ってるのは潜ったことがある人間だけだと思うけれど──あと、アヤネちゃんの漫画みたいな笑い方って嘘っぽいってことだ、それは君もお前もよくやる、声でわかるんだ」
「アヤネちゃんの暴走も、あなたのキチガイも、若気の至りよ、私思うんだけれど、」
「ねえケネス、周波数は?」

 

鈴木レイヤ