【短編】情熱の真っ青な海/THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」

【短編】情熱の真っ青な海/THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」

ぼくは速人。名前のとおりで、海を泳ぐのがとても速い。

学校の遊泳授業では、いつも1番を取る。まわりには女の子がたくさん集まってきて、ぼくの日焼けした腕を引っ張って取り合いをする。そう、ぼくはモテるのだ。

名付け親は父さん。昔はぼくと同じくらい泳ぐのが得意だったみたいだけど、今はりっぱなビールっ腹。目も当てられないって、母さんはよくため息をもらしてる。ぼくの住む島では昔から泳ぎの達者な男がモテるから、母さんは父さんと結婚したっていうのに、これじゃあ浮かばれないとぼくも思う。

クラスのみんながぼくを何と呼ぶか知ってる? その名も「はやんちゅ」だ。その名前で呼ばれると嬉しくなって、鼻をひん!と鳴らしてしまう。皮膚の内側にある筋肉はやわらかくて、しなやかで、さわると気持ちいい。女の子だけじゃない、誰もがみんなぼくの腕にさわりたがる、そんな自慢の筋肉なのだ。

「いいわねえ、速人は。肩こりなんてなったことがないんだから」

ある日、母さんはぼくに言った。その日の夕飯はぼくの大好きな「こりこり」だった。どうしてそんな名前なのかというと、鳥のなんこつが入っていて、噛むとこりこりと音が鳴るからだ。 

「肩こりはつらいわよ。いつか分かる時が来るわ」

母さんに頼まれて肩をもんでいた僕は、恐れおののいてしまった。肩の筋肉が固まってカチンコチンになってしまうというそれは、母さんをずっと悩ませていた。昔ばあちゃん家で見た、家の守り神みたいな顔をしてみせる母さんはどうやらぼくをこわがらせたいらしい。正直、大成功だ。

ぼくは自分の肩が岩のようになって、ハンマーでたたくと粉々になってしまう想像をした。そうしたらもう二度と、海で泳ぐことができなくなってしまう。それはいやだな、と思った。ぼくにとって海とは別世界であり、たいして苦労はしていないけれど、なんだかふつうの世界より息をするのが楽だと思える場所だった。そりゃあ、海の中だから呼吸はできない。もののたとえとして、だ。

ひときわ固く感じるところをぐいぐいと押すと、母さんが近所の犬のいびきみたいな声をあげた。

「あんた、筋がいいわね」

「ぼくは筋がいいよ、腕の筋肉なんか、みんなにほめられるんだ」

「そっちの筋じゃなくて。まぁ、いいけど」

「マンセー」肩こりの母さんいわく、こった肩はもむと気持ちいいらしい。それこそ熱いお風呂につかった時だったり、勉強の合間に伸びをしたりする時の何万倍も。

ぼくはその気持ちよさを知りたくなった。こげ茶色の腕や肩をもんでみても、その気持ちよさはやって来ない。気持ちよくなるには、まず肩がこらないといけないのだ。

大人にならないと、肩はこれないのかな。

(そうだよ、はやんちゅ。きみがのびのびと海を泳げているあいだは無理さ──)

肩を押してみると、返事が聞こえた。ぼくはちぇっと、つばを吐いた。母さんに聞こえないように、肩もみの手伝いが終わったあと、ひっそりと自分の部屋で。

鈴虫が鳴いている。月が黄色に光っている。

こりこり。こりこり。頭から離れない、ダンスしている。

肩がこった大人たちと、何も知らないぼくが。

* * *

「ねえ、知ってる? 海の近くの洞窟」

「ああ、あそこ。肝試しするのにうってつけな場所だろ」

「そこに、最近おじいさんが住んでるってうわさなの」

「ホームレスじゃね?」

「分からないけど、陽子ちゃんが見たって。白髪のおじいさん。

魚や貝を釣って食べて暮らしてるんだって」

放課後クラスメイトたちが輪になって話している噂に、ぼくは興味をもった。

「なになに、じいさんが洞窟に住んでるって?」

「そうなの、気味悪くない?」

「全然。むしろ、面白いじゃん」

「な、面白い」

女子たちは少しむっとした顔をした。

「そういうとこ、ほんと男子だよね」

男どうしで顔を見合わせ、大げさに肩をすくめてみせる。 

「あっ、そうだ。だったらはやんちゅ、おじいさんに会ってきてよ」

「えっ、なんで?」

「みんな、実はけっこう興味津々なの。でも誰も、そのおじいさんのところまで行けなくて」

もじもじする女子に、男子チームがはやし立ててくる。

「はやんちゅ、たのむよ。無事帰ってこれたら、アイス1本おごるからさ」

「なんだよそれ、罰ゲームみたいじゃん」

「半分正解」

にやつく男どもを、キックして蹴散らす。

「お前らが行けばいいだろ!」

「あっ、こわいんだ~」

腕の筋肉がぴくぴくしだした。どうやら何か言いたげな様子らしい。

耳をそばだててみると、こんな言葉が聞こえた。

(そこに行けば、君の知らなかったことを知れるかもしれない)

なんだって? ぼくのしなやかな腕がそう言うなら、行ってみようじゃないか。

「わかった、行くよ」

歓声がわく。たかがホームレスのじいさんに会いに行くだけだろ、まったく子どもなんだから。

おごってもらう予定のアイス、種類を決めておこう。高いやつがいい。かくしてぼくは、謎に満ちた洞窟暮らしのじいさんに会いに行くことになったのだった。

* * *

ピーカン晴れの休日、ぼくは海岸のはしっこにある例の洞窟へと抜き足差し足でしのび寄っていた。

丸腰で来たのはまちがいだっただろうか。いや、相手はじいさんだし、危険が及ぶことはないだろう。イソギンチャクやフジツボがへばりつく岩場をなれた足取りで進んでいくと、洞窟が見えた。そしてそこに、たしかに白髪のじいさんがひとり、ぼんやりと空を見上げていた。

「こ、こんにちは」

おそるおそる声をかけると、じいさんはウミガメとどっこいくらいのスピードで首を曲げ、ぼくの方を見た。

「おお、少年。いいところに来た」

しわがれた声が洞窟の奥にまでひびき、ぼくのいる場所まではね返ってきた。洞窟の奥は暗くて湿った空気が吹いていたから、うすら寒くなって視線をそらした。足もとには貝殻が転がっていて、うしろにはクーラーボックスと、原始人が使っているような火をおこす道具があった。

「ちょっと、肩をもんでくれんかの」

「えっ?」

戸惑うぼくを後目に、じいさんはその場にしゃがみこんでずいっと肩を差し出してみせた。半袖のポロシャツから伸びる腕は、まるで教科書で見たガンジーそっくりだ。肌は真っ黒に焼けていて、ごつごつした骨は岩にも木にも見えた。

「ほい、早く」

「あ、じゃあ……失礼します」

一言置いてから、おぼつかない手つきでじいさんの肩に触れた。そして、驚いた。どんなに押しても、肩の中から返事がない。固すぎて、指のしずむ場所がどこにもなかったのだ。

「わたしゃ元軍人でね、昔は何十キロもある銃を背負ってたんだ」

「は、はあ」

激しい戦いの最中、武器を抱えてあちこちを走り回っていたというじいさんの話に相づちを打ちながら、なんとかこりをほぐせる場所への侵入をこころみる。が、うんともすんとも言わず、高らかに完敗のゴングが鳴る。

「すみません、ぼくには……ほぐせそうにないです」

「ほっほ、じゃろ」

じいさんは銀歯だらけの口を開けて、にかっと笑ってみせた。

「この肩のせいで、昔のようにようけ動けなくなってしまった。

分かるかな。人間だれしも、いつか自由でなくなる時が来るんじゃよ」

じいさんはゆっくりと、時間をかけて伸びをした。その間に、カニがぼくたちの間を通り過ぎて海へと帰っていった。岩の上に乗っていた小さなラジオから、どんちゃんうるさい音楽が聴こえた。ドラムが暴れ、ギターが走り抜ける。

〈なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めようそんな気持ち分かるでしょう〉

だみ声なのに、不思議と僕の胸をつらぬく声がそう問いかけてくる。分からない、分からないよ。不幸せなんかいらない。みんなそうなんじゃない?

今がいちばん楽しいし、今の僕ならきっとどこまででも行ける。どこまでも続く大海原だって冒険できるはずなんだ。

こりこり。

また、音がする。これは未来のぼくから伝わってくるメッセージだ。

 

(いつかきみも、大人になって、老人になる。昔みたいに泳げなくなって、固くなった肩や腕を誰かにもんでもらった時、人生とはどんなものなのかを知るのさ───)

潮の風がびゅう、と吹いて、僕の中にこだましていた声はやんだ。そして、音楽もいつの間にか終わっていた。

今はまだ半信半疑だけど、いつか知る時が来るのかな。

じいさんが銃弾の流れる草っぱらを、無我夢中で走っていた時の景色。どんなに子どもでも、大人でも、最後はみんな死んでいくこと。「はやんちゅ」が「おそんちゅ」になる時。

そうなる前に、ぼくができることは何だろう。どうしたら、いっしょうけんめい、なるたけ楽しく生きられるだろうか。

* * *

じいさんに別れを告げ、ぼくは家へと帰った。

その日の夕飯はきくらげと春雨の炒めもので、ぼくはぶーぶーと文句を言った。お肉が食べたかったからだ。母さんは自分の肩をもみながら、しかたないわね、と言ってその中に後から焼いた豚こまを追加してくれた。

たらふく食べたあと、部屋に戻って肩をぐるぐると回してみる。痛くない。ツボっぽいところを押してみる、気持ちよくない。ぜんぶぜんぶ、なんともない。

学校帰りにアイスを食べながら、みんなに話すことはもう決めてある。じいさんがぼくに教えてくれたこと。こりこりと音がする日のこと。ぼくの好きな、母さんの料理の話も少し。

ぼくの腕はこれからも火花みたいにエネルギーを迸らせながら、隆々と、水の中をかきわけていくだろう。

はやんちゅ、これがぼくの名前。自慢の筋肉、それとスピード。

 

この夏も誰にも負けずにいちばん速く、遠くまで泳ごう。情熱の真っ青な海が、ぼくを待っている。

* * *

安藤エヌ