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コロナ渦で気付いた、『魔女の宅急便』に潜む魅力──温もり溢れる物語がもたらす心の休息

By安藤エヌ

社会問題や事件、さらには新型コロナウイルスに関するニュースが連日放送される日々。最近は意識的に自分の心を守るため、そういったニュースをなるべく見ないようにしている。元々人一倍にショックを受けたり過敏になることが多い性質を持っている私にとって、緊張感のある状態が数年続く状況というのはかなり堪えたようだ。せめて夜だけは自分の時間を持ちたい、穏やかに過ごしたい、と思うようになり、ここ半年くらいずっと続けていることがある。

それは、『魔女の宅急便』をテレビで流すことだ。

思い返してみれば、半年前くらいから夜になると部屋の電気を消し、ぼんやりと薄明るいオレンジ色の光だけが部屋を満たす中、テレビで『魔女の宅急便』を流し続けている。通算すれば100回は観たことになるんじゃないだろうか。疲れた日もそうじゃない日も、げっそりしている日も元気な日も、決まって寝る前には『魔女の宅急便』を観る。このルーティンは私に大きな心の平穏をもたらしてくれた。

なぜ、こんなにも心が回復していくのだろう。『魔女の宅急便』を観ると心身ともにリラックスできるのはなぜだろう、と考えてみた。そこには様々な理由があり、同時に作品への考察や分析に繋がることが分かった。

まずは、CGやAIイラストレーションを筆頭にしたデジタルチックな画風が台頭し、アニメーションにおけるセル画文化が衰退していく中で感じる、丹精込めて1枚ずつ描かれた画の温かみについて述べたい。

アニメ産業が成立して以降、1990年代までの日本で発表された商業アニメ作品には基本的にセル画が用いられていた。『魔女の宅急便』は1989年公開なので、ちょうどその時期に当たる。手書きで着色された背景の街並みや自然が見られ、CGグラフィックでは再現できない──技術的にセルルックな画風が生み出せる時代になってもなお一線を画した──非常に素朴且つ柔らかなトーンで作品が構成されている。そのことは、ブルーライトや過度に光を取り入れたシーンなどで疲れた現代人の目にとって優しいものであるという風に考えることができる。セル画とCGの視覚的実験など、正確な比較検証は見当たらないながらもあながち的外れな考えではないだろう。

『魔女の宅急便』に癒される理由として、まずこのような視覚的効果が大きな要因として挙げられる。

そして、しっかりとした起承転結はあるものの、そこに心の負担となるような展開がなく、あったとしてもそれは主人公・キキが成長するターニングポイントとして機能しており、終始穏やかで牧歌的なストーリーが続くことにも言及したい。

原作小説では「魔女」という存在を童話風な語り口で描いている。一方映画版では、魔法はあくまで「個人の持つ才能」という位置付けで描いており、「田舎から都会へ上京してきた少女が才能を活かして独り立ちしていく」という点を強調している。つまりは成長譚としての作風を持っているというのが原作との決定的な違いだ。

映画における物語の基盤となっているのが主人公・キキが仕事を通して得る人生経験なので、彼女が奮闘する姿を見て「自分も頑張ろう」と思え、自然と気持ちが前向きになる。また彼女の周囲にいる人の優しさに触れることで、自分も優しくなれるし成長できるのだということを教えてくれる、いわばファンタジーと教訓話のいいとこ取り──つまり「ハイブリッド・ファンタジー」的ニュアンスも含んでいるのだ。

子供でも楽しく観られる平易なストーリーの中に、大人でも唸ってしまうような深みがあり、何度観ても新しい感想を抱けるという点は、スタジオジブリ作品に共通して言えることだろう。無意識のうちに本作を心の栄養源に選び、コロナ禍を穏やかに生きるための「おまじない」のような存在として人々に活力を与えたのも納得できる。

何度も繰り返し観ている内に、幼少期には気付けなかった作品の素晴らしさが分かってくる。手書きのアニメーションで描かれた人物たちの些細な挙動にその人物の「人となり」が表れていたり、「暮らしって物入りね」と毎日ホットケーキを焼く、つつがない生活の細かな機微。それらが宮崎駿監督をはじめとした製作陣の、綿密で丁寧なリサーチにより徹底された描写として映画の中に活きている。

人物関係でいえば、ウルスラとの出会いによりキキが学ぶ、「生きること」に繋がる「何かを創造すること」、また居候先のオソノ・フクオ夫妻や、空に憧れる少年・トンボや、宅急便の仕事で出逢った老婦人との交流でキキの見ている世界が拓いていく様が見てとれ、その光景が海の水面や夕暮れの街のように美しく輝いていて、観客に希望を抱かせてくれる。

『魔女の宅急便』は、コロナ禍という厳しい環境に立たされると忘れてしまいがちな大切なものたちを、心の中に留めさせてくれた。心の故郷のような映画だ、と思う。いつでも帰ってこれるし、元気になったら旅立っていってもいい。またいつでも戻っておいで──そんな風に語り掛けてくれている気がする。

コロナ禍という苦境だからこそ、改めて感じられた映画の素晴らしさ。焼き立てのパンのように温かく、心の奥にずっと大切にしまっておきたい映画として、これからも『魔女の宅急便』は私のフェイバリット・ムービーとして、ふくよかに優しく私の身体を包み込んでくれることだろう。

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安藤エヌ

日芸卒フリーライター。「生きづらさと愛を書く」をモットーに音楽、映画、マンガなどの分野で執筆活動中。主な掲載先はrockin’on、リアルサウンドなど。

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ポストパンクを主に聴いています。毎年苗場で音楽と共に焼死。クラフトビール好きが興じてブルワリー取材を行うこともしばしば。なんでもご用命ください。

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