ジョン・カーニー監督──元バンドマンの彼が伝えたかった3つの物語と音楽愛
音楽映画というものは世の中に数多く存在するが、ジョン・カーニー監督の作品はとりわけ音楽への愛が深く刻まれている。
アイルランド出身のジョン・カーニーは、音楽家から映画監督へと転身した数少ない経歴の持ち主である。彼は1993年までザ・フレイムス(The Frames)というバンドでベースを担当し、MVなども自身で手がけていた。その後、音楽を辞め、楽器の代わりにメガホンを取った。
そのためか、彼の作る映画は音楽界の華やかさだけでなく、どこか音楽への愛憎が見え隠れする。それこそが世の音楽ファンを魅了する所以だろう。本稿では、そんなジョン・カーニーを代表する音楽映画である『ONCE ダブリンの街角で』『BEGIN AGAIN はじまりのうた』『SING STREET 未来へのうた』の3作に迫っていきたい。
※以降、若干のネタバレを含む。あまり気にしない方は予習として読んでいただきたい。
ジョン・カーニー作品の特徴
ジョン・カーニーの作品は、他の音楽映画とは異なる点が2つある。
物語と音楽の関係性
音楽映画と言えば派手な演奏シーンやミュージカルのようなロマンチックな展開が一般的だが、ジョン・カーニーの映画にはそのどちらもない。言うなれば<音楽を主軸に展開される人間ドラマ>である。
物語の登場人物は音楽を愛し、劇中では歌を歌い楽器を奏でる。しかし、これらは物語を彩るスパイスでしかなく、あくまでメインは主人公たちが織りなすドラマなのだ。まずその点が、他の音楽映画とは大きく異なる部分だろう。
登場人物の平凡さ
近年話題になる音楽映画──『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』『イエスタデイ』などの共通点は、才能に溢れる主人公が多くのファンに囲まれ音楽家人生を謳歌するサクセス・ストーリー、という部分だろう。主人公たちはそれぞれ苦悩に悩まされるが、彼らは皆、華やかな世界にいる。
しかし、ジョン・カーニーの映画は違う。彼が生み出す主人公たちは大成せず、何者にもならない。どんなに才能があっても、どんなに良い歌を歌っても、スターにはならないまま、物語は終幕を迎える。「全ての物語がサクセス・ストーリーになれるわけではない」ということを、彼は映画を通して伝えているのだ。
そのため、ジョン・カーニーは音楽の世界の華やかさではなく、シビアでリアルな面を描く。それも、露骨な挫折などではなく、時には恋人、時には家族との会話などで、一見しただけでは気づけないほど自然に表現する。
では、スターになれなかった主人公たちは、それぞれの作品でいかにして挫折を経験し、その先にどのような答えを出したのだろうか。
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『ONCE ダブリンの街角で』──名もなき男女の物語

『ONCE ダブリンの街角で』ポスター・ヴィジュアル
あらすじ
恋人に振られ、夢も希望も捨て故郷のダブリンに帰ってきた<男>。父親の仕事の合間に路上で弾き語りの演奏をするのが彼の日課だ。昼は好評なカバー曲を、夜はこっそりと自作の曲を演奏している。そんなある日、彼はチェコ人の<女>と出会い2人は惹かれ合う。<男>はもう一度本気で音楽活動をするためにロンドンへ向かう決意をし、レコーディングを開始する。
劇中、主人公たちの名前は登場せず、彼らは女に振られた<男>とチェコ人の<女>でしかないが、そんなことは全く気にならない(実際、筆者はこの記事を書くまでそのことに気づいていなかった)。映画は脱線することなく「男と女が出会い、仲を深めていく」というストーリーのレールを進む。この物語の中では主人公たちの「名前」すら不必要なのだ。というのも、この作品はミュージカル映画ではなく、ましてや恋愛映画でもない。
交差する自由と不自由
ヒロインである<女>は、名前が出てこない代わりに「チェコ人」という情報が何度も登場する。ダブリンの外れで花を売り豪邸の家政婦をしながら、移民街のアパートに家族と身を寄せ合いながら住んでいるチェコ人の女。彼女には才能があるが、「スターになる」などという夢はない。たまに馴染みの店でピアノを弾くだけで十分──いや、それしかできない、とも言える。チェコ移民である彼女にとって、異国の地でスターになることは現実的ではない。母親と幼い子供を養うために生きるだけで精一杯なのだ。
そして、自由でどこへでも行けるのにそのことを忘れてしまった<男>に出会う。彼女は男のレコーディングをサポートすることで、自分が叶えることのできない夢を託そうとしたのだろう。男は彼女の才能とその懸命な姿に好意を抱く。

(映画.comより)
ラストには「一緒にロンドンに行こう」と持ち掛けるが、そうはならない。彼女には家族がいて、生活がある。彼らはお互いを羨み、尊敬し、惹かれ合い、そして離れていく。この映画は、そんな自由と不自由をテーマにした風刺映画なのだ。
余談だが、実はこの映画の主人公である<男>を演じているのは、ジョン・カーニーが所属していたザ・フレイムスのヴォーカルであるグレン・ハンサード。それだけでこの映画を観る価値がグッと高まるだろう。また、劇中の曲は全てグレン・ハンサードと<女>役のマルケタ・イルグロヴァが2人で共作しているので、そちらも是非聴いてみてほしい。
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『BEGIN AGAIN はじまりのうた』──親子の絆

『BEGIN AGAIN はじまりのうた』ポスター・ヴィジュアル
あらすじ
恋人に裏切られ、ニューヨークを去ろうとしていたグレタは、ライブハウスで落ちこぼれの音楽プロデューサーのダンに出会う。グレタの才能を見出したダンは、アルバムを制作するためニューヨークの喧騒渦巻く中で野外レコーディングを行う。
大まかな内容としては『ONCE ダブリンの街角で』にかなり近いが、内容は大幅にアップデートされている。おそらく『ONCE』では、ジョン・カーニーが理想とする表現の半分もできていなかった。というのも、制作費が普通の映画の半分以下だったのだ。そのため、この『BEGIN AGAIN はじまりのうた』こそが本来作りたかった『ONCE』なのであろう。<BEGIN AGAIN(=もう1度)>というタイトルも、そのことを意味しているのではないだろうか。

(映画.comより)
この映画の素晴らしい所は、まずレコーディングの情景だ。 ダンは落ちこぼれで自分が作った会社をクビになってしまう。そのため高額なレコーディング・スタジオを借りるお金もない。なぜ高いスタジオが必要なのか。余計な音が入らないようにするためだ。「ならば雑音も含めて曲にしてしまおう!」とダンは考える。
そして、車のクラクションやパトカーのサイレン、人々の話し声、地下を走る電車など、ありとあらゆる音が渦巻くニューヨークの街中でレコーディングを開始する。時にタバコを餌に子供たちをコーラスに参加させ、時に警察に追われながら録音するシーンは、音楽ファンでなくてもワクワクしてしまうだろう。
さて、この映画はこれで終わり、ただアルバムを作って主人公の2人がちょっと良い感じになるだけか、と思ったらそうではない。この映画にも、単なる音楽映画ではない隠れたテーマがある。
グレタがもたらした父と娘の和解
マーク・ラファロ演じるダンは正真正銘ダメ親父だ。過去に大物ラッパーを見出した栄光にすがって酒浸りになって家を飛び出し、挙句クビになる。娘であるバイオレットに酒代をせがむ。肝心の娘は露出の多い服を着て夜な夜な遊び回る、絵に描いたような不良娘に。家庭は崩壊寸前だった。

(映画.comより)
しかし、グレタと出会ったことでダンは少しずつ変わり、酒をやめて家族と向き合うようになっていく。バイオレットも年上のグレタと親交を深めていくうちに服装や化粧を改善し、父親を尊敬するようになる。そして、彼女がグレタの曲にギターで参加したことをきっかけに、父と娘は和解する。娘が楽しそうにギターを弾くことを知った時のダンの顔は、父親でありながらどこか友達のようでもあった。
一方のグレタにも、もちろんストーリーがある。グレタには音楽の才能があるが夢などはない。その点も『ONCE』のチェコの女と近いかもしれない。グレタは典型的な「自分のない女」だ。ニューヨークに来たのも、恋人かつ新進気鋭の歌手でもあるデイヴを支えるためだったが、挙げ句の果てには浮気をされてしまう。
「自分には何もない」とニューヨークから逃げ出そうとした彼女はダンと出会い、少しずつ自信を取り戻し、音楽に打ち込むようになる。しかし、彼女にはスターになるという夢はなかった。そんな中で彼女が出した答え──それは是非、本編を観て確かめてほしい。

(映画.comより)
ちなみに、この映画はMaroon 5のアダム・レヴィーンが楽曲提供をしており、さらにデイヴ役として銀幕デビューも果たした。さらに、グレタとデイヴの旧友役としてイギリスのコメディアンであるジェームズ・コーデンも出演し、かなり重要な立ち回りをしている。そんな隠れた豪華キャストたちが、この作品をより強固なものにしているのだ。
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『SING STREET 未来へのうた』──理想を実現した音楽映画の最高傑作

『SING STREET 未来へのうた』ポスター・ヴィジュアル
あらすじ
ダブリンに住むコナーは、親の失業をきっかけに県立の高校に転入するが、そこでいじめに遭う。バラバラになる家族と憂鬱な学校生活に絶望するが、一人のミステリアスな女の子に一目惚れする。女の子と話すきっかけがほしいコナーは、彼女に「バンドをやっているからMVに出てくれ」と嘘をつく。女の子を振り向かせるためについた嘘を本当にするため、コナーは学校の冴えない生徒を誘いバンドを組む。
まず、この映画の素晴らしい点は楽曲の多様性だろう。曲を作ることになったコナーは音楽狂いの兄、ブレンダンに相談し、彼は弟に女の子を振り向かせるためのレコードを聴かせるのだが、その選曲が素晴らしいのだ。モーターヘッド、デュラン・デュラン、ザ・ジャム、ザ・キュアーなど、70〜80年代を代表する伝説的なアーティストが満遍なく物語を味付けする。コナーはそれを参考に、ポップ、ロック、サイケデリックなど様々なジャンルの楽曲を作っていく。
コナーの心情を表したように様々な楽曲が劇中を彩り、客を飽きさせない。また、MVやライヴ・パフォーマンスもジャンルや年代に合わせ変化する。まるで音楽カルチャーの教科書のような映画なのだ。
この曲はロカビリー/ロックンロールを意識している。MVの内容も70年代頃のプロム(※注1)をモチーフにしており、名作映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のラストシーンを彷彿とさせる。最初こそ好きな女の子を振り向かせるためのバンドだったが、コナーにとって徐々に大切なものになっていったのだ。
注1:プロムナードの略。イギリスやアメリカの高校で開催され、卒業を控えた学生が参加するダンス・パーティーのこと。
全ての兄弟に捧げられるべき映画
では、この映画の隠れたテーマはなんだろうか。一見すると<女の子を振り向かせるためにバンドを始める青春映画>なのだが、本当は違う。この映画は<兄弟の絆の映画>だ。

(映画.comより)
主人公のコナーが道を見失いそうになると、必ず兄のブレンダンが登場する。そして、その時のコナーが一番必要とする言葉と音楽を渡す。音楽や女性に対して多くを知っているブレンダンをコナーは尊敬し、ブレンダンもまた6歳離れた弟を慕い、時に横暴になりながらも応援する。親の不仲により家庭が崩壊しかける中、彼ら兄弟は最後まで強い絆で結ばれ、映画は「全ての兄弟たちに捧ぐ」という言葉で幕を閉じる。
半自伝的側面
さらに隠されたテーマはもう1つある。この映画はジョン・カーニーの音楽映画3部作の最高傑作と言える。というのも、この作品には彼が映画にしたかった理想の全てが描かれているからだ。
コナーはバンドを組んで作曲をし、自分らMVを制作する。その様は、まさにカーニーのバンドマン時代を思い出させる。また、コナーはダブリンという土地に嫌気がさし、ロンドンに行くことを夢見る。『ONCE』でも描かれた舞台が再び登場したことは偶然ではないだろう。そう、カーニーは子供時代をダブリンで過ごしている。

(映画.comより)
つまり、この映画はジョン・カーニーの半自伝的な作品とも言えるのだ。『ONCE』で描ききれなかった物語を『BEGIN AGAIN』で描き、そしてそれまで培った音楽への愛とダブリンという故郷を題材にした映画が『SING STREET』なのである。
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ジョン・カーニーが導き出した答え
3人の主人公たちは大成しない。大勢の前でライブもしなければ、CDがミリオンヒットになったりもしない。
しかし、3人は多くの可能性に溢れながら次の舞台へと進んでいく。視聴者たちは、彼らのその後を想像することができるのだ。彼らはその後、音楽をやめてしまうかもしれない。結婚しそれなりの幸せを掴むこともあるだろう。もしかすると、そのまま大物歌手になるかもしれない。
その可能性の暗示こそが、ジョン・カーニーが導き出した、音楽への愛の答えなのではないだろうか。
Goseki

