私を構成する9枚【中澤星児編】

私を構成する9枚【中澤星児編】

#私を構成する9枚--その文言通り自身の音楽遍歴を語る上では決して切り離せない音楽作品を9枚選ぶハッシュタグ。musitでは書き手自身を掘り下げるべく個人の音楽的嗜好に迫る企画としてお送りする。弊メディアのライターたちがどのような遍歴を辿ってきたのか覗いてみてほしい。

今回は、《ロケットニュース24》ライター、またsi,ireneのギタリストとしても活動する、中澤星児による9枚を紹介。

①IRON MAIDEN『IRON MAIDEN』(1980)

高校の頃、友達がいなさすぎて暇だったので手に取ったギター。しかし、歌本を見ながらオリコンの曲を弾いてもなかなか雰囲気が出ない!
当たり前だ。なぜなら、時代は小室ファミリー全盛期。対して私はアコギ弾き語り。ギターってそういうものだと思っていた。そんな時、隣の席のH君が貸してくれたのが『IRON MAIDEN』である。

これは本当にギターの音なのか?特に「Phantom of the Opera」の流れるように変化していく組曲風の構成にはヤラれた。自分の知ってる音楽と全然違う。というか、歌より間奏の方が長い。なんで?ヴォーカルってずっと歌ってるもんじゃないの?外国人ヤベえ。
速攻で同じCDを買った。当時私が買った1988年のリイシュー盤には、ライブ映像を収録したスペシャルCDが付属されていた。早速再生してみると、PC画面に映し出されたのはトゲトゲのレザージャケットを着たポール・ディアノ。怖っ!

外国人のヤバさをまざまざと見せつけられたこのアルバム。その後、私がエレキギターを購入したことは言うまでもない。

②Aerosmith『Nine Lives』(1997)

アイアン・メイデンのビッグバンから、歪んだギターの音ばかり好んで聴くようになった私。しかし、当時は今のようにYouTubeもサブスクもあるわけがなく、洋楽と一口に言っても何から聴けばいいのか全く分からなかった。そんな時に日本でミレニアム・カウントダウン・ライブを行っていたのがエアロスミスである。

折りしも映画『アルマゲドン』が大ヒットした翌年。主題歌の「I Don’t Want to Miss a Thing」だけは知っていたので、「ああ、あのバラードのバンドか…」と思いながら、WOWOWで放送されていたライブを観る。

「怪獣みたいな声出してる……!」

外国人はやっぱりヤバい。改めてそう思った私は、当時の最新アルバム『Nine Lives』を購入。聴いてみると、なんか気持ち悪い曲やってるゥゥゥウウウ!(※「Taste of India」)と更なる衝撃を受けたのだ。
でも、言葉のリズムが異常なまでに心地良くも感じた。当時は「英詞だからだろう」と思っていたが、その後様々な洋楽に触れて、スティーブン・タイラーだけのリズム感であることを知った。グルーヴを教えてくれたアルバム。

③Yngwie Malmsteen『Rising Force』(1984)

エアロスミスに完全にノックアウトされた私は、大学に進学すると同時に軽音楽部へ入部した。すると、同級生のY君がイングヴェイを弾いていたのを目撃し、「速ッ!え?速ッ!!」とここでも衝撃を受けた。
エアロスミスのジョー・ペリーのギターですら速いと思っていた私は、人間技とは思えないスピードに思わず二度見。そして直後にこう思った。「同い歳の子ができるんだから、起きてる間ずっとギターを弾き続けたら追いつけるのではないか」と。

そこで私は、授業をほぼサボって1日10時間くらい『Rising Force』に収録されている「Far Beyond The Sun」を練習してみたところ、約1年後には少しだけ弾けるようになった。この時の気が狂った練習の日々が今の仕事に結びついているんだから、人生ってどうなるか分からない。

ちなみに、思い返しても当時のY君は今の私よりギターが上手い。イングヴェイどころかインペリテリを完コピしてたしな。「インペリテリはスウィープをオルタネイトでやるんだよ」と実践して見せてくれた。才能って恐ろしい。

④Radiohead『The Bends』(1995)

衝撃は突然やってくる。それは2003年の夏だった。ハードロックとメタルが主流だった時代遅れの軽音楽部の部室で、いつも金切り声を上げている同級生のボーカリストに誘われた。「サマーソニック行ってみようぜ!」と。
ハ?何?フェス?去年ガンズ出たの?そう言いながらサマーソニックに乗り込んだ。朝イチで。したがって、ヘッドライナーの頃にはもうホント帰らせてくださいって感じだったのだが、レディオヘッドが演奏を始めた瞬間思った。「そうだ、今2000年代だ」と。

そう、我々が生きているのは1980年代ではなく今なのである。ずっと抗っていた、当たり前のことを直感的に理解させられるほどにレディオヘッドのライブは分かりやすく、またリアルタイムで鳴らされるべき音だった。

ちなみに、東京では「Creep」をアンコールで演奏したらしいが、大阪ではやらなかった。しかし、私はこの時アンコールで観た「My Iron Lung」が今も忘れられない。爆発するようなアウトロに、新しい扉が開く音を聴いたような夜だった。

⑤Dinosaur Jr.『Green Mind』(1991)

ギターを手に取った瞬間、いつものしょうもない自分から少し変われた気がした。初めてアンプを通して弾いた時、無敵になった気がした。歪んだギターの音には、そんな魔法がかかっている。

その魔法を思い出させてくれたのが、2006年に大阪のライブハウス・なんば Hatchで観たダイナソーJr.だ。客席はそこそこ余裕がある状態、さてどんなものかと観に行った私も含め、割とぼんやりライブが進むので、「まあこんなもんか」と思って観ていると……。「The Wagon」でJ.マスシスがファズを踏んだ瞬間、突き上がる拳の大草原!そして、叫ぶ客の大歓声をも塗り潰さんばかりの音量!!全っ然ソロが終わらねェェェエエエ!

最高すぎた。ギターってやっぱり最高だ。当時、曾我部恵一やくるりもダイナソーJr.をフェイバリットに挙げていて、私はリアルタイムと自分との接点をこの時やっと見つけられた気がした。

⑥パール兄弟『N・H・Kにようこそ!』O.S.T. ダークサイドにようこそ!(2006)

何のコネもなく上京して、楽器屋の壁に張り付けられていた手書きのローディー募集に応募した。そこでローディーについたのが、パール兄弟のギタリスト・窪田晴男さん。窪田さんは色んな人のレコーディングをやっていて、ディレイとアームを多用する浮遊感のあるプレイと、彩りのあるコードワークは非常に洗練されていて都会的だった。あと、椎名林檎に会えて嬉しかった。

正直、どの曲が良いというのではなく、当時見たプロの現場や機材車の中で話したことなどの全てに影響を受けているけれど、やはり窪田さんと言えばパール兄弟。アニメ『N・H・Kにようこそ!』のサントラはリリースされたばかりだったので、リハでよく演奏していたが、「君に崩えホエ」はローディーとか関係なく踊っていたもんである。ちなみに、窪田さんがT.M.ネットワーク「GET WILD」のギターを弾いていたことを知ったのは私がローディーを辞めて10数年後のこと。元気かな。窪田さん。

⑦フィッシュマンズ『LONG SEASON』(1996)

そんな窪田さんが2ndアルバムをプロデュースしているのがフィッシュマンズ。以前からアルバムは持っていたが、縁めいたものを感じて改めて聴いた時、買った当時と全然違う響き方をした。

音楽キャリアを重ねていくにしたがって、絵具が水に溶けるようにぼんやりしていくのが彼らの曲。中でも好きなのは『LONG SEASON』で、まどろみを揺蕩うような35分が心地良い。特に、《男達の別れ》ツアー最終日、1998年12月28日に行われた赤坂BLITZでの演奏は、何かが憑依しているような雰囲気すら感じられた。

ちなみに、窪田さんはアルバム『King Master George』のレコーディングの際、ヴォーカルの佐藤さんに「音楽で食っていくにはどうしたらいいですか?」と聞かれ、「じゃあ売れるもの作らないとね」と答えたという。しかし、その後のフィッシュマンズが歩んだ道は、とても売れ線とは言い難いものだ。個人的には、そこに佐藤さんのミュージシャンとしての矜持を感じずにはいられない。

⑧ソレカラ『優しい嘘に疲れたら』(2011)

やがて、私がやっていたバンドもデビュー・アルバムをリリースすることになった。渋谷の街頭ビジョンでリリースに合わせて放映が決まり、ラジオのパワープレイも決まって、これは売れるのではと思い始めた。ライブでは相変わらず客は少なかったが、リリースされたら変わるのではないか……と。

そんな希望をかけたリリース予定日は2011年3月23日。そう、東日本大震災が起こった月だ。リリースの11日前にあの大地震が起こったのである。結果、渋谷の街頭ビジョンは停電でほぼ放映されず、CD売り上げも事務所が「もう1回やろう」と言うほど売れることはなかった。

とはいえ、個人的にはこのアルバムを作れただけで割と満足している。自分たちがやりたかったことを全力で表現できたから。ちなみに、我々を発掘したディレクターが「新しい子たちを担当しようと思うんだけどどうかな?」と車の中で聴かせてくれたのがSAKANAMON。で、その後がマカロニえんぴつなので、鳴かず飛ばずは我々だけ。色んなことを教わったアルバムである。

⑨米津玄師『YANKEE』(2014)

彼の名前は知っていた。2014年当時、最新の邦楽に疎い私でもその噂を耳にするくらいには天才と言われていたと思う。まあ、縁のない世界の話だ--
と思いきや、イベント出演のためライブハウスへ行ったら、その米津玄師がリハをしているではないか!何やら変な空気が漂っていた。え?米津玄師?とコソコソ言い合うみたいな。

なんでも、初ライブの前にお忍びでライブハウスに出演して練習をしているのだという。もちろん、出演者の名前にも米津玄師とは書かれておらず、「YANKEE」と名乗っていた。にも関わらず、その日は嗅ぎつけた彼のファンが100人くらい列を成した。当日歌われた中でも特に印象的だったのが、『YANKEE』収録の「百鬼夜行」。

ドラムの上に積み立てるのではなく、ドラム、ベース、ギターの全てが絡み合ってバンドサウンドがリズムのタペストリーみたいだ。これが時代の音か。我々もこれだけ時代を真芯でとらえていれば、どんな状況でも売れただろう。憑き物を落とされた気分だった。

* * *

というわけで、ギターを歪ませることで性格も歪んじゃった私は、20年くらいかけて現代の邦楽に追いついたのであった。出遅れすぎだろ!とはいえ、回り道もまた悪くない。音楽の旅はこれからも続いていくのだから--。

中澤 星児