私を構成する9枚【寄稿/百姓一揆編】

私を構成する9枚【寄稿/百姓一揆編】

#私を構成する9枚--その文言通り自身の音楽遍歴を語る上では決して切り離せない音楽作品を9枚選ぶハッシュタグ。musitでは書き手自身を掘り下げるべく個人の音楽的嗜好に迫る企画としてお送りしている。

アーティストからリスナーに音楽が手渡される。その過程で物語が生まれ、同じ作品でも受け手の数だけドラマがある。そういった「音楽は個人史である」という側面を、より読者の皆様に広く共有し楽しんでいただきたいという思いから、本企画の寄稿を募集。今回はその公募分から掲載する。選出した9枚の中から、特に思い入れの強い3枚について語っていただいた。

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フィッシュマンズ『空中キャンプ』(1996)

中学2年生。部活。来年は受験もある。道端で倒れた。みんなに心配ばかりかけている。家で音楽を聴くことが心の慰安だった。羽毛布団を目深にかぶり、暗転。イヤホンを装着し、再生ボタンを押す。5分もしないうちに涙が溢れてくる。人前では絶対に出さない情けない嗚咽は、捨て犬のような目をした自分を慰める。

何を言えばいいのか分からないけど、ただひたすら自分の気持ちに寄り添うことはできた。「ナイトクルージング」まで聴くと、だんだん気持ちの整理もついてきて、「すばらしくてNICE CHOICE」で“あーやられそうだよ なんだかやられそうだよ もう溶けそうだよ”と共感し、「新しい人」で自分は生きていてもいいんだ、と肯定できるまでに回復する。セラピーだ。投薬だ。この作品は。

田中ヤコブ『おさきにどうぞ』(2020)

近年稀に見る、自分的歌モノのヒット。最近はバンドやシンガーへの興味が薄れていたけど、結論から言うと「2020年で一番の名作」。何より彼の撮った映像が素晴らしい! 「他人の視点の気持ち悪さ」が一切なく、ユーモアの味付けも程良い。ジャケットも素晴らしい。里山と電柱、どこまでカッコいいのか。

卓越したギターのスキルに目線が行きがちだが、彼のダイナミズムはその詩にある。詩世界の「諦め」とギターの「爆発」が相乗効果を発揮するのだ。いくつか発明だと思う詩を列挙する。‘‘人が指差し笑えど関係ないのさ 飛び方を探そう’’‘‘意図的に 恣意的に 打算的に 手に入れたはずなのに何もない’’‘‘とどのつまりずっと馬鹿にされながら 生きていくしかないんだから’’--2020年の名盤として語り継がれる作品。

ゆらゆら帝国『空洞です』(2007)

「ひとりぼっちの人工衛星」から「空洞です」の流れは、無性生殖を見ているかのような感動がある。この曲の歌詞と岡倉覚三『茶の本』のリンクに感化され、一時期は「空洞論者」と名乗っていた。生き方に影響が出ている。

「できあがってしまった」ために解散したゆらゆら帝国と、佐藤伸治の死によって時間が止まってしまったフィッシュマンズ。彼らの最終作には共通点がある。どちらも<空洞>なのだ。『空洞です』は意識的に空洞を捉え、安定したのだと思う。しかし『宇宙 日本 世田谷』は、意図せずそうなってしまった。誰も到達できない波打ち際でぱちゃぱちゃと遊んでいると、波が玩具をさらうように、佐藤は妖になったのではないかと、現世にとどまるチケットを売り渡したのではないかと勘繰ってしまう。

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◯執筆=百姓一揆
Twitter:@BfpKIsJvI0HTKQR
note:百姓一揆の話し足りない「空洞がなくなる」〜高校最後の読書感想文〜

musit編集部