カネコアヤノ、折坂悠太、柴田聡子──SSW以降の「ニュー・フォーク」世代の登場

カネコアヤノ、折坂悠太、柴田聡子──SSW以降の「ニュー・フォーク」世代の登場

日本国内におけるシンガーソングライター(SSW)のシーンが活況だ。カネコアヤノ、折坂悠太、柴田聡子など、フォーク系のSSWが活躍の幅を広げている。

筆者は、そんな彼らを「フォークの新しい形」という意味を込めて「ニュー・フォーク」と呼ぶ。音楽は時代に合わせて日々進化しており、最も古い音楽の1つでもあるフォークも例外ではないのだ。

そんな新時代のフォークの魅力に、代表するアーティストの紹介と共に迫っていきたい。

新しいフォークの登場

フォークとは、元々民謡や民族音楽から派生した音楽ジャンルで、1950年代頃から現在に至るまで幅広い層に親しまれている。

特徴としては主にアコースティック・ギターやバンジョーを使い、電子楽器などを使用しないのがセオリーである。また、フォークから派生し、エレキギターを使用したフォーク・ロックというジャンルも60年代後半頃から誕生した。

しかし、フォークもフォーク・ロックも1980年までにはほぼ完成され、現行のアーティスト(特に日本国内)は「フォーク」という括りに入ることはかなり少なくなった。

その理由としては、フォークにおけるプロテスタント性とシンガーソングライターの台頭が関係している。

フォークソングのプロテスタント性

フォークソングが持つ「プロテスタント性」というのは、60年代後半、ベトナム戦争時に巻き起された「ヒッピー文化」が原因である。

当時のフォークソングはそれまでの民謡節とは異なり、反戦的な曲が増え、武器を捨てて音楽で幸せになろうという、いわゆる「ラブ&ピース」といったプロパガンダを掲げるようになる。そのブームは日本でも広がり、遠藤賢司や岡林信康など、フォーク・シンガーは皆プロテスタントを歌った。

そうして徐々にフォーク本来の意味よりも反戦思想が先行し、その結果、戦争を知らない世代の音楽はフォークと呼ばれなくなったのだ。

シンガーソングライター(SSW)というジャンルの誕生

その代わりに生まれたジャンルが「シンガーソングライター(以下SSW)」である。そもそもSSWとはその名の通り、自ら曲を作り歌うアーティストの総称であったが、現在では主に2000年代以降のジャンルとしての定義にされることが増えた。日本でもSSWという言葉は広がり、主にソロで活動しているアーティストの総称のようになっていったのである。

しかし、SSWという言葉はジャンルとして使うには少々定義が曖昧すぎる。ソロで活動しているアーティストはどんな歌であろうとSSWと区分されてしまい、リスナーは膨大な情報から音楽を探さなくてはいけなくなった。

フォークと呼ぶには若すぎ、SSWと呼ぶには範囲が広すぎる。そんな音楽を筆者は「ニュー・フォーク」と名づけた。

では、ここからは筆者が考える「ニュー・フォーク」のアーティストを紹介する。

カネコアヤノ

カネコアヤノは、ライブやアルバムによって演奏スタイルを変えるアーティストだ。バンド形態では、ライブハウスでメンバーと共にエレキギターを振り回し、力強く歌う。その勇ましさはそこらの男性アーティストなんかよりもずっと漢らしく思えてしまうほど。

また、時には着席スタイルのホールでアコースティック・ギターを抱え、儚くも芯のある声で歌を紡ぐ。彼女に圧倒された会場は、咳1つ許されないほど静まり返る。

そうした2つのスタイルを持つ彼女だからこそできる作品作りもある。2018年以降のアルバム『祝祭』『燦々』『よすが』では、通常のバンド・サウンドの他に、弾き語りの「ひとりでに」シリーズをリリースしている。

彼女の書く曲は歌詞に重きを置いているため、コード進行はシンプルな楽曲が多い。だからこそ弾き語りである「ひとりでに」シリーズは、バンド・サウンドよりも彼女の感情をさらに引き立たせている。カネコアヤノのアルバムは「ひとりでに」と対になって初めて完成するアルバムなのだ。

折坂悠太

日常に漂う焦燥感や倦怠感を描きつつ、それに満足しているようなどこか陶酔的な詞が、森山直太朗や遠藤賢司を彷彿とさせる折坂悠太。家庭の事情もあり、幼少期を様々な国で過ごした彼はどこか自分を他所者だというような諦めに近い歌を歌うが、それが多くのリスナーに共感を得ているのだろう。

彼もまた、弾き語りとバンドの2形態で活動するアーティストだ。ライブでは1人で歌う<独奏>の他に、関東用のバンド編成<合奏>と関西用のバンド編成<重奏>を巧みに使い分け、バンドともソロとも言えない、折坂悠太にしか出せないサウンドをリスナーに届けている。

2018年にリリースしたアルバム『平成』はその年のCDショップ大賞を受賞しており、折坂悠太の名を日本中に知らしめたアルバムと言えるだろう。流れる季節と変わらない情景を歌った曲「さびしさ」は、フォークソングという観点から見ても全く引けを取らない名曲だ。

そして、2021年にはフジテレビ月9ドラマ『監察医 朝顔』の主題歌と挿入歌が収録されたミニアルバム『朝顔』をリリース。この作品は全編を通して「生命」について歌われており、どこか飄々としていたこれまでの折坂とは違った、新しい魅力を感じさせる快作となっている。

柴田聡子

80年代ポップの正統派リバイバルという印象の柴田聡子だが、筆者は彼女の歌詞の中に隠されたパンク精神を感じる。一聴すると、とても女の子らしいロマンチックな歌詞なのだが、どこか攻撃的なのだ。

例えるなら、それは銀杏BOYZの峯田和伸の書く歌詞に似ている。ロマンチックであり、ドラマチックでもあり、なのに虚しい。2人の書く歌詞には共通して、やり場のない怒りのようなものを感じる。

特に2019年に発売した5thアルバム『がんばれ!メロディー』は、柴田聡子の内なるパンク精神をポップなメロディーに包み込んで歌われており、どこか柴田本人に対しての応援歌のようですらある。2ndアルバム『いじわる全集』以来のセルフ・プロデュースということもあり、それまでの作品の中で最もバリエーション豊かな楽曲となっている。

また、2020年にリリースしたミニアルバム『スロー・イン』は柴田の原点回帰とも言える作品であり、基本のサウンドはほぼアコースティックの楽器で構成されている。しかしただのフォーク作品というわけではなく、声やクラップのサンプリングをふんだんに使い、どの曲も柴田聡子らしいひとクセある作品となっている。

ラッキーオールドサン

2019年には結婚し、公私共にパートナーとなった男女2人組バンド。夫婦で音楽活動をするアーティストと言えば、近いジャンルではハンバート ハンバートが有名だが、彼らが正統派フォーク/カントリーを歌うのに対し、ラッキーオールドサンはブルースやロックなどエレキサウンドも多分に取り入れ、まさに「ニュー・フォーク」と言えるサウンドである。

彼らの1stアルバム『ラッキーオールドサン』は1つの町を舞台に作られており、どの曲を聴いても行ったことのない町の情景が目前に浮かびあがる。それこそがラッキーオールドサンの最大の魅力だ。彼らの歌詞は劇的ではない、むしろ日常的すぎる。なんでもない毎日の些細な変化を歌った曲が多い。

彼らにとって何気ない日々の全てが特別なことなのだ。劇的ではなく、平坦ではあるが、そんな日常的な歌こそが幸せの定義に一番近いのだと教えてくれる。

王舟

上海生まれ、日本育ち、歌う言語は主に英詞のアーティスト、王舟。柔らかい歌声と軽快なアコースティック・ギターのサウンドは、聴く者の肩をふわっと軽くし、気分を上げてくれる。民謡的であり牧歌的でもあるそのスタイルは、初期フォークの正当後継者と言えるだろう。

生まれた国とも育った国とも違う言語で歌う王舟には、どこか一種のレイシズムのようなものを感じてしまう。上海で幼少期を過ごし現地の国民性に触れて個性を育んだ彼は、8歳の頃に日本に移り住む。協調性を重んじる日本では受け入れられない場面も少なくなかっただろう。国や人種といった高すぎる壁こそが、彼が主に英語で歌う理由なのではないだろうか。

しかし彼の歌には、重いテーマを一切感じさせない気軽さがある。「国や人種の問題など音楽の前では存在しないに等しい」と一蹴するサウンドが、王舟の最大の魅力なのだ。

1stアルバム『Wang』には数少ない日本語の曲である「とうもろこし畑」が収録されている。普段英語を歌う彼だからこそ、歌詞以上の意味を伝えてくれる曲だ。

ROTH BART BARON

シンガーソングライターの三船雅也によるソロプロジェクトであるROTH BART BARON(ロット・バルト・バロン)。「ニュー・フォーク」の括りに入れるべきか悩んだが、フォークと呼ぶにはあまりも多様的なアプローチこそが新しいフォークだと考えた。

彼の音楽には正当性がない。「フォークとはこういうものだ」という常識に囚われていないのだ。そのため、必要ならピアノやストリングス、管楽器、電子楽器も全て取り入れる。メロディーはアイルランド民謡を彷彿とさせるかと思えば、古き良き日本の民謡のようでもある。

また、4枚目のフルアルバム『けものたちの名前』では、表題曲でもある1曲目の歌い出しをゲスト・ヴォーカルが務めるという柔軟さを持っている。

彼にとって、ジャンルとは足枷でしかないのかもしれない。しかし、筆者はROTH BART BARONのルーツにフォークを感じた。彼の音楽には民謡的でありながら反戦を思わせる歌詞や、滅亡、叙情について歌う曲が多い。

先述したように70年代以降のフォークはプロパガンダ的な意味合いに変わっていったが、彼の音楽にはその先にあるディストピア的要素を感じる。絶望の中の小さな希望を歌うROTH BART BARONは、まさに「ニュー・フォーク」の新しい指標となる存在なのではないだろうか。

ジャンルは指標である

ジャンルというものは難しい。そもそも個人が作った作品をカテゴリーで分けるのはナンセンスだ、という意見もある。ジャンルに固執し、身動きができなくなるアーティストも少なくない。しかし、それはこれまでに作られた既存のジャンルの常識に囚われているだけなのだと筆者は考える。

ジャンルとはただの音楽カテゴリーではなく、リスナーがアーティストに出会うための指標である。そして、指標は道が細分化されればそれに合わせた進化が必要だ。フォークというジャンルが生まれて半世紀以上が経った今、フォークという指標が新しく生まれ変わるのは当然の流れなのではないだろうか。

フォークだけではない。ロック、ポップ、パンク、ジャズなど、すべての音楽が進化し、指標もまた変わっていく。私たち現代のリスナーはこれらのジャンルを柔軟な解釈で広げていく必要があるのかもしれない。音楽とは本来自由なものなのだから。

Goseki