私を構成する9枚【鈴木レイヤ編】

私を構成する9枚【鈴木レイヤ編】

#私を構成する9枚--その文言通り自身の音楽遍歴を語る上では決して切り離せない音楽作品を9枚選ぶハッシュタグ。musitでは書き手自身を掘り下げるべく個人の音楽的嗜好に迫る企画としてお送りする。弊メディアのライターたちがどのような遍歴を辿ってきたのか覗いてみてほしい。

今回は、音楽や映画、そして東京ヤクルトスワローズを愛するライター、鈴木レイヤの9枚を紹介。

①R.E.M.『Out of Time』(1991)

音楽が勝手に流れてくるものでなくなったのは14歳の頃だった。土日はMTVにかじりついてポップ・ミュージックのチャートやロッキングオンを眺めており、小遣いをもらう度にTSUTAYAに通い、クリスマスにもらったウォークマンを膨らませていた。そういう時期の最初に出会ったバンドがR.E.M.だった。好きな気がするのにカッコよさは分からない、とにかく聴き続けていた。ベッドに転がってごろごろしながら、自転車であてもなく、ほとんど音楽と夕日のためだけに出かけながら『Out of Time』を聴いた。

ピンときていないのに聴き続けたのは、これよりカッコ良いものはないと決めつけていたからだ。このカッコ良さが分からなければ、自分はカッコ悪いままだろうとも思っていた。当時の僕は何をしてでもR.E.M.の良さが分かる人間にならねばならなかったのだ。無事カッコ良さが<ここ>に沁みるようになって、分かったつもりになったことは人が飾らず人らしく生きている美しさ。

②Radiohead『Kid A』(2000)

瀬戸内海沿いは水が足りなくなるくらいからっとした場所だが、高校時代僕を襲った嵐は少なくなかった。当時は知らないものが多すぎたので、今どうやっても得られないくらい若くてボールドな感動が多くあった。ほとんどは思い出すことすら難しく、いや、全く思い出せないというのが実情だ。こうやって文章での再現を試みることで変に褪せてしまうのではないかと怖くもあるが、中には記憶や思い出よりも確固たる印象を落とし続ける円盤も存在する。

再生を押すごとに暴風雨を起こすアルバムはいくつかあるが、レディオヘッドの『Kid A』もそのうちだ。暴風が荒ぶのは、これが神の突き落とした閃きだからなのだろう。「God Sent A Spark」と聴こえるノイズが響くと全ての景色が突然一時停止を終えたフィルムのように流転し始める--カフェインなしに逃走あるいは闘争へと生存本能をそそのかす音楽。孤独から全体へ広がりを見せていくことで人を救済し、死の安らぎを知らせる。低音をブーストして瞳孔をかっぴらこう。

③The Strokes『Comedown Machine』(2013)

聴いているだけで自分が最高の人間になったような気分になる。自信のないあなたを鼓舞する応援歌ではない、自信のないあなたなんかどこにもいないって勘違いさせる最強の薬だ。僕はこのアルバムを学校をサボって出かけるための薬にした。好きな方へ歩いていくのは簡単ではない。高校時代の僕は臆病だったが、今が青春だという自覚を持っており、どうにか義務を放りだそうとした。学校の近くに小さな漁港があった、そこへ座って制服で船を眺めていた。

青空の下、上下する船を眺めてパンをかじっていた――風が服の隙間から差し込み胸を膨らませた時に、自分は制服を着ているのに海にいるんだなとおかしく思い始めた。学校をサボるなんて大したことじゃない。だが特別だった。アルバムを買ったタワレコは閉店したし、音楽を聴くのに使っていたiPhoneはプーケットで単車に乗ってはしゃいでいるうちになくした。ストロークスがストロークスであることを放棄するうちは青かった頃のことばかり考えていたが、今はもう懐古することに快感を覚える時代ではない。

④CAN『Tago Mago』(1971)

何よりも大切なのは髪が長いということだった。ネジが明らかに外れているポップスには裏側から心を撫でるずるい良さがある。澄まし顔で通りを歩く僕やあなたの裏側には、こういった奇声じみたメロディーとぶれないが我を忘れたドラムが鳴り続けている。

僕が小説を書き始めた頃に憧れた素晴らしい文化の1つが彼らの音楽だった。新しさは色褪せるもので、時代の垢にまみれて他と見分ける術がリリース年のみになることも珍しくない。しかし何十年を経ても輝きを失わないものもある。そういうものを僕も作りたい。芸術が時代を越えて鮮度を保つためには、時代的普遍性以外のものが必要になってくると思う。それは作品が1人で次の時代を生き抜く生命力だ。今の僕の考えでは、その生命力は作った人間自身のヴォイスだろう。優れた文体を持つ文学が、時代を越えてその物語を保ち続けるのと同じように、カンの持つ唯一無二の「声」はこれからも『Tago Mago』の真新しさを次の時代へ残していくのだろう。

⑤Splashh『Comfort』(2013)

受験勉強をしまくっていた17歳の頃、塾のパソコンでYouTubeをつけっぱなしにして当時流行っていたイギリスのインディー・ロックを聴き続けていた--スウィム・ディープ、ピースとかみたいなB-townサウンズ。救いようのある閉塞感を根拠のないキャッチーなラブソングで流そうとしていた。その中でお気に入りの1つだったのがSplashhだ。彼らはインディー・ポップの軽快さを、サーフの風と太陽に結びつけた。このバンドが僕の中で良い具合に弾けたのはタイに住むようになったからだ。

大学を辞めていよいよタイへ行くという時、関空へ行くがてら大阪のレコードショップでこのバンドのアルバムを買ったのを覚えている。偶然、これはCDで持っておきたいくらいの気持ちで手に取ったが、結局それが常夏の大学時代の大部分を占める真上の太陽を記憶に補完するようになった。白昼夢的な日差しに彼らは簡単に色を塗っていく。気だるさ、暑さ、汗--意識がリヴァーブと一緒にぼんやり溶けていき、視野は広がっていくが全てボヤケテいる。

⑥Four Tet『Morning/Evening』(2015)

現代世界で精神旅行をするならばどんなサイケデリアを舌にのせようか? 例えばこの音楽はどうだろう。先進性と原始性を兼ね備えるために時代という檻に悩まずに済むはずだ。西洋のエレクトロニカと東洋インドの旋法の融合は空間的な檻もなきものにしてくれる。

ポストロックを経てテクノに辿りついた鬼才キエラン・ヘブデンが織りなす電子音楽は、強固なロック情緒を持っていることを大きな特徴としているが、インド系のルーツも彼の音楽を彩る重要な要素だ。ロックらしくオーガニックに上昇するリズムのらせん階段、しかし急がないポストロックの抒情性に、ラーガモードに則って展開するメロディーとヒンディー語映画からのサンプリング。キエラン・ヘブデンの持つ全てのアイデンティティを余すところなく表面に配置した大作を聴くと、彼のアレンジ力の技量を強く感じることができる。僕はこのアルバムに想像欲求を掻き立てられるし、より多くの明晰さを求めるようになる。

⑦Slowdive『Pygmalion』(1995)

真っ暗で何もない場所でこの音楽を聴いていた。窓を閉じ切っていた、パソコン画面の青い光だけがちらちら揺れていた。そこにあるのはぼんやりとした不安で、その他には何もなかった。何もかもに絶望してしまい、何も手につかないような時期が誰にでも在ると思う、僕だけではないと願いたい。そういう時は辺りがすっかり真っ暗に感じてしまう--が、それが真理だ。暗闇は我々に見えないものではなく、見ることを忘れてしまっていた様々な惨めなものごとだ。なぜ暗闇がそこにないものだと思ってしまったのだろう、静寂をゼロと思ってしまったのだろう。

『Pygmalion』が教えてくれたのはそういうことだった。ゆっくり、確実に、落ち続けていた心に深淵から突き上げるこの音楽は救いであった。空間の広がり、無言の他人たちが持つ心の広がり--好意的に解釈すれば優しさ、傷つきかねない無邪気さ、その存在を知った。心は沈んでいくのではなく、満たされていく。君は孤独になったのではない世界が広がっただけなんだ。

⑧Joy Division『Unknown Pleasures』(1979)

初めて聴いたのは中学生か高校生の頃だった。衝撃などというものはなかった、良い曲もあればそこまで感じない曲もあるという印象だった。カッコ良いがあまりにも荒削りすぎる、その印象は今も変わっていないが、このアルバムはなぜか僕の中で生き物のように大きくなり続けた。描かれる景色の暗さに目が慣れていっただけかもしれない、ある時期は神経症的で実際に神経症であったイアン・カーティスの詞にうんざりさせられた。彼の歌はあまりにも孤独すぎるのだ。

しかし、後になって僕の状況が変わった。とてつもなく大きな不安と一歩も足を踏み出せない状況になり、色々なものを放り出して病院へ行くことになった。その時になってやっと僕は彼の強さを知った。少なくともイアン・カーティスという人は情けないと言って誰かの感情に蓋をしたりはしなかった。僕がコントロールを失わなかった原因は彼のお陰だけではないが、なんにせよ悲しくも幸せであった23歳のあなたにはありがとうと言わねばならない。

⑨Wand『Plum』(2017)

今の僕にとって血や肉になっている音楽のうち、最も新しいものはこのアルバムだろう。LAのインディー・バンドらしく、ストーナー・ロックとガレージ・ロックの影響を強く受けてきたWandが完全に殻を脱ぎ捨てた作品。多層構造の繊細な音作りはソニック・ユースのムーアとラナルド、トーキング・ヘッズを思わせ、レディオヘッド、ピンク・フロイドのような構成のダイナミクスをも持ち合わせている。

有り余る衝動と想像に舵を取らせず、自ら操りマスターピースを完成させる。これは、誰にでもできることではない。RedditのAMA企画でバンドを始めたファンからの質問に、フロントマンのコリー・ハンソンはこう答えている。
“テレヴィジョンがマーキームーンを作る為に3ヶ月、週5日5時間練習をしたって読んだ。それで、『Plum』を作る為に俺らは3ヶ月週6日8時間集まって練習をした。今となってはそこまでしないけれど、当時はそうする必要があった ”
--WAND LAUGHING MATTER AMA 2019(Reddit)より
彼のこの言葉は現在僕の座右の銘となっている。Wandがテレヴィジョンに憧れたように、僕もWandに憧れ、気合を入れて努力を重ねていきたい。

鈴木レイヤ