私を構成する9枚【寄稿/ハヤシ カエデ編】

私を構成する9枚【寄稿/ハヤシ カエデ編】

#私を構成する9枚--その文言通り自身の音楽遍歴を語る上では決して切り離せない音楽作品を9枚選ぶハッシュタグ。musitでは書き手自身を掘り下げるべく個人の音楽的嗜好に迫る企画としてお送りしている。

アーティストからリスナーに音楽が手渡される。その過程で物語が生まれ、同じ作品でも受け手の数だけドラマがある。そういった「音楽は個人史である」という側面を、より読者の皆様に広く共有し楽しんでいただきたいという思いから、本企画の寄稿を募集。今回はその公募分から掲載する。選出した9枚の中から、特に思い入れの強い3枚について語っていただいた。

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andymori『ファンファーレと熱狂』(2010)

登下校のたった15分、買ってもらったばかりのウォークマンでいつも聴いていたのはandymoriの『ファンファーレと熱狂』だった。地元が嫌いで早く遠くに行きたいと思っていた14歳の頃、どこにも行けないことを憂うような歌詞と、どこにでも行けると思わせてくれるメロディーに気付けば虜になっていた。少しでも抜け出したくて自分は周りの奴らなんかとは違うとすがり付くように聴いていたのかもしれない。

ただ校則を破って隠し持ったウォークマンで、学校の皆は知らない音楽を聴いているというのは少し大人になれた気がして嬉しかった。いつも最高、最低、好きと嫌いが表裏一体だったあの頃の、お守りのようなアルバムだ。

星野源『POP VIRUS』(2018)

留学をしていた時によく聴いていたのが星野源だった。ホームステイ先の家から大学までの通学路がちょうどこのアルバム1枚通して聴けるぐらいの距離で、家を出て『POP VIRUS』を再生するのが日々のルーティンになっていた。知らない土地での生活が始まったばかりで軽いホームシックなっていた自分にとって、耳から入ってくる日本語にはとても助けられていた。

音楽は少なからず思い出される情景があるものだと思っているが、彼の曲の素晴らしい点はその情景が日本に限定されない点だと思う。だから異国の地にいても違和感なく聴くことができていた。どこにでもある当たり前の日常や、続く生活をくっきりとした解像度で歌っていたからこそ、例え遠く離れていても寄り添ってくれるような優しい音楽なのだろう。

The 1975『A Brief Inquiry Into Online Relationships』(2018)

初めて彼らの音楽に出会ったのは地元の品揃えが悪いレンタルCDショップで、1stが熱烈にプッシュされていたからだった。ただ、初めて聴いた感想は良くも悪くもイギリスのインディー・ロック。だからこそ聴き流すような形で聴いていたが、今作を聴いた時には震え上がった。やっと時代を代表するようなスーパーヒーローバンドに出会えたかもしれないと。

解散、休止してしまった過去のロックバンドたちの熱狂を羨ましく思っていた自分にとって、その瞬間は長年待望していたもので、だからこそとても衝撃的だった。このアルバムから、彼らは一個人の問題からいよいよ現代社会に流れる鬱屈とした雰囲気に切り込んでいく。音楽がこの現代社会を変えるかもしれないと本気で思わせてしまうカリスマ性が、彼らにはある。

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◯執筆=ハヤシ カエデ
Twitter:@_mam_e

musit編集部