『エヴァンゲリオン』シリーズと音楽──心理描写や伏線としての劇伴

『エヴァンゲリオン』シリーズと音楽──心理描写や伏線としての劇伴

2021年3月から公開され、7月に上映が終了した『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』。前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』から9年、またコロナ禍の影響により2度公開延期になりましたが、個人的な感想としては、登場人物だけでなく視聴者までもが「エヴァンゲリオンの呪縛」から放たれたラストで納得のいくものでした。Amazon Primeでも配信が始まり、何度も見返して楽しんでいる人も多いのではないでしょうか。

内容については様々な所で考察や議論が巻き起こっていますが、その辺りは一筋縄ではいかない『エヴァンゲリオン』シリーズの奥深さを感じます。『エヴァンゲリオン』シリーズはどの作品も随所に伏線が張ってあるのですが、あえてそこを補完していないので、想像を膨らませながら考察、また議論して作品を楽しむことができるのも魅力の1つです。

さらに、エヴァンゲリオンと言えばキリスト教やヨーロッパ圏の神話などをモチーフにしている部分もあり、その壮大な世界観を演出するためにクラシック音楽が使われている場面も多いのですが、それだけでなく、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」など昭和歌謡なども随所に散りばめられており、それが伏線として使われているのも憎い演出です。

今回は、そんな『エヴァンゲリオン』の劇中で効果的に使用される音楽に焦点をあてて綴っていきたいと思います。

※本記事は一部ネタバレを含みますので、気になる方は作品の鑑賞後にお読みください。

これまでの『エヴァンゲリオン』

『エヴァンゲリオン』シリーズは、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』から始まりました。当初はさほど商業的に成功したアニメとは言い難かったのですが、悲壮感溢れる世界観、また壊れていく主人公たちと大人のムードが漂っており、終盤に近付くにつれ大人を中心に「どうやら面白いらしいぞ」と徐々に話題となり、深夜帯での再放送で決定的な人気を博した作品です。あまりに斬新なその結末は、物語を補完するため新たに映画版が制作される方式がとられたほど。

TV版と新劇場版

その人気アニメをリビルド(再構築)した映画版が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ。単なるリメイク作品ではなく「リビルド」と強調されているだけあって、1作目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 は若干の違いはあったものの、ほぼTVアニメ版のストーリーと変わらず進行。しかし2作目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の後半辺りからは全くのオリジナルのストーリーになっていきました。

ちなみに新劇場版は「ヱヴァンゲリヲン」と表記されていましたが、最終作では『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と元の表記に戻っています。筆者の想像ですが、この演出はTVアニメ版と別の世界線を歩んだストーリーが「シン・エヴァンゲリオン」の世界に繋がった、という解釈をしています。

『エヴァンゲリオン』とテーマソング

そして、TVアニメ版のエヴァンゲリオンといえば、皆さんご存じの「残酷な天使のテーゼ」です。平成から令和に変わった今でもカラオケランキングで上位に入るなど、『エヴァンゲリオン』シリーズを観たことがなくてもこの曲なら知っている、という人も多いかと思います。

しかし、メディアで紹介される際に必ずと言っていいほど流れるこの曲は、意外にも新劇場版シリーズでは一切使用されていません。代わりに、新劇場版でのテーマソングは宇多田ヒカルが担当することになります。特に3作目『Q』のテーマソング「桜流し」は、戦いの後帰ってこない男性のことを想う女性の歌詞となっており、静かなピアノから始まり途中からドラムが効果的に入ってくるあたりが映画の壮大さを伝える形で素晴らしいです。『シン・エヴァンゲリオン』の「One Last Kiss」も清々しい読後感のようなものがありました。

鷺巣詩郎による劇伴の効果

『エヴァンゲリオン』シリーズの劇伴は、TVアニメ版の頃から作曲家・鷺巣詩郎が担当。作戦会議シーンや戦闘関連シーンなどで流れる「EM20」は特に有名で、今年7月には「EM20」シリーズを集結したオリジナル・サウンドトラック『EVANGELION INFINITY』もリリースされています。

『EVANGELION INFINITY』ジャケット

戦闘シーンと次回予告

「EM20」は編曲のバリエーションが多い楽曲ですが、基本的には「デンデンデンデン ドンドン デンデンデンデン ドンドン」と特徴的なティンパニーのイントロから始まり、徐々にテンションが高まっていく展開が印象的。『シン・ゴジラ』をはじめ、様々なバラエティー番組などでも使用されているため、『エヴァンゲリオン』シリーズを観たことがない人も1度は聴いたことがあると思います。また、次回予告で流れるBGMも有名で、ファンにとっては思わず胸が熱くなる名曲です。

ちなみにアニメ版では、ストーリーが終盤に近付くにつれ絵コンテや台本の画像が放映されるようになりますが、制作時間が足りなかったという説と、主人公たちの精神的な心理描写としてあえてこうした演出になったという説もあり、その辺りを考慮して観るのも楽しみ方の1つだと思います(新劇場版において次回予告と実際の中身が一致しないのは、当初予定していたものをより面白くするために1回白紙に戻して練り直してるためのようです)。

歌詞による描写

さらに、『シン・エヴァンゲリオン』では第3村の朝になったシーンで流れる爽やかな「yearning for your love」、村での生活シーンで流れる「hand of fate」、アディショナルインパクトの始まりに流れる壮大なオーケストラの「what if?」など、歌詞のある劇伴が多く使用されています。

特に、「what if?」の歌詞‘‘What if we just hadn’t said goodbye? Would you love now have as good as mine?’’を日本語に訳すと“もし私達が別の道を歩んでいなかったら、君を愛したように僕を愛してくれただろうか”となり、ゲンドウの心理描写も見えてくるようにも思います。

また、ミサトがAAAヴンダーで特攻し、世界を書き換えるキーアイテムである「ガイウスの槍」が作られるシーンで流れる「もろびとこぞりて(joy to the world)」も有名な讃美歌です。ここは、ミサトが息子リョウジに対する愛情に気づき、ゲンドウが息子シンジの成長を実感しついにはシンジを認めるという、重要なシーンとなっています。「全ての贖罪はなされた」という意味での讃美歌ともとれますよね。

そして、シンジはアスカ、カヲル、レイを救っていき、自分を犠牲にしてエヴァのない世界に書き換える「ネオンジェネシス」を遂行しようとしますが、最後は自らが母親のユイに救われます。「さようなら全てのエヴァンゲリオン」──と、全てのエヴァンゲリオンは人間に戻っていきました。ここで、林原めぐみのカバーで歌われる松任谷由実の名曲「VOYAGER〜日付のない墓標」が流れるのも良いチョイスです。

真希波・マリ・イラストリアスが口ずさむ歌

『破』から登場した謎の多い美少女、真希波・マリ・イラストリアス。その人物像は最後まではっきりと描かれなかったものの、『破』では「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子/1968年)、『Q』では「ひとりじゃないの」(天地真理/1972年)、『シン・エヴァンゲリオン』では「真実一路のマーチ」(水前寺清子/1969年)と、それぞれのオープニングで昭和歌謡を口ずさんでいた彼女。

冬月が持っていた「赤ん坊のシンジを母親のユイや友人が囲む」写真にも、マリによく似た容姿でユイとほぼ年代も同じような女性が写っており、それがマリ本人だとすると、昭和歌謡の選曲といい彼女の実年齢はユイと同じくらいだと推定できます。実際には異なる世界線のようですが、漫画版の最終巻でもマリがユイの後輩として登場しています。

庵野監督本人は、NHK『プロフェッショナル 庵野秀明スペシャル』において、「アニメは実写映画と違って、自分が好きなものだけを詰め込められるので好きなものだけを入れてる。その辺の昭和歌謡が好きなだけなんですよ」と発言していましたが、それをそのまま伏線にしているセンスの良さが素晴らしいです。

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さて、これにて『エヴァンゲリオン』という作品は完結しましたが、庵野監督は「僕の作るエヴァンゲリオンはこれでおしまい」という言い方をしていましたので、もしかしたら、また新たなスタッフで新たなエヴァンゲリオンが始まるかもし知れません(ファンの勝手な思い込みですが……)。皆さんはどう感じたでしょうか? スタジオカラーの次の作品も楽しみです。

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