Gosekiのアメリカ徒然探訪録:Day 2
2022年8月、Awesome &roidのベーシストであり、musitのライターでもあるGosekiが、バンド・メンバーでヴォーカル/ギターのタツルと、カメラマンのショータロー(NEW FAT GLORY)と共に、人生初の海外、そして人生初のアメリカを訪れた。ここに綴られるのは、Gosekiがその目で見て、その耳で聞いて、その手で触れたものたちの、大いなる記録である。
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8月2日
早朝から車の猛烈なブレーキ音とクラクション、そして恐ろしい怒号の声で目が覚める。瞬間でここが日本ではないことを実感。何が起きたのかは気にしないことにした。おそらくこんなことが今後もたくさんあるのだろう、いちいち驚いていては身が持たないと思う。早くも慣れてきている自分に驚いた。
2日目にまずしなくてはいけないことはレンタカーの手配だった。
今回の旅の目的の1つは私とタツルが敬愛してやまない憧れのバンド、New Found Gloryのツアーをこの目で観ることだ。そのためにわざわざアメリカに行くほどだ。行ける日程は全て行くことにした。我々はサンディエゴ、ラスベガス、リバーサイド、アナハイム、アリゾナの6ヶ所のライブを、バンドを追いかける形で旅行する。
New Found Gloryのライブを本場のアメリカで、しかもこの短期間で6本も観た日本人が一体何人いるだろうか。貴重な体験だ。しかも今回は普通のツアーではない。2002年にリリースされた彼らのアルバム『Sticks And Stones』のリリース20周年を祝う特別なツアーで、アルバムの曲を全て披露してくれるというファンにはたまらないツアーなのだ。
私とタツルは中高生の頃にこのアルバムを聴いて音楽に触れ、このアルバムを聴いてバンドを始めた。千葉と山梨という全く違う環境の中でその共通点が我々を結び付け、今同じバンドに所属している。私たちにとって思い入れのあるバンドであり、かけがえのないアルバムなのだ。そんな『Sticks And Stones』の20周年を現地で祝いたい。それがこのアメリカ旅行の発端だった。
そんなわけで今回、私たちはカリフォルニア、ネバダ、アリゾナと3つの州を超える旅を車で行う。もちろん私も運転する。そのための国際免許も取得した。初めての海外旅行で運転もすることになるとは、人生何があるか分からない。
ここでまたトラブルが発生する。
あらかじめ予約していたレンタカーがなぜか勝手にキャンセルされていたのだ。日本の仲介会社で予約していたのだが何度問い合わせても対応してくれない。このままでは予定しているスケジュールが全て白紙になってしまう。仕方ないのでレンタカー会社に直接交渉しにサンディエゴ空港へ行くことに。30分に及ぶ交渉の末(もちろん交渉は他の2人がしてくれた、私は荷物の番人を徹底した!)、なんとか最初の1週間はレンタカーを借りることに成功。しかし当初予定していた倍以上の金額がかかってしまった。だがここでお金のことを考えてしまうと一気に現実に戻ってしまう。我々は全てを忘れて旅を楽しむことにした。

ノースパーク
サンディエゴ空港から最初のライブ会場《The Observatory North Park》へ。サンディエゴのノースパークという町はカラフルな建物が立ち並びお洒落な酒場や服屋がひしめいている。ちょっとした町の景色が全て新鮮に見える。異国に来たということを今更ながらじわじわ感じてくる。ライブまではまだ3時間ほどあったが、ショータローが写真の仕事のため一度離脱し、タツルと2人で行動することに。

サンディエゴといえば私にはどうしても行きたい場所があった。映画『トップガン』の撮影地、オーシャンサイドだ。映画好きなら一度は行きたい場所と言える。今いるノースパークからオーシャンサイドは車で40分ほど。車の運転に慣れるにもちょうど良い距離だ。初めてアメリカで運転する男ゴセキと、なぜかルールだけはよく知っている無免許ヴォーカルのタツルによる、アメリカンデスドライブの始まりだ。
常識かもしれないがアメリカの車は左ハンドル、走行車線は右と、日本とは全く逆になっており、これに慣れるまでかなりの時間がかかる。この旅の中でも何度か左折時に反対車線に入ろうとしてしまうことがあったし、走行中に少しでも気を抜くと車線の右側によってしまったりとしどろもどろだ。
それでも何時間か運転するとだんだんと運転にも慣れてきた。借りられた車が日産だったことが幸いだった。何度か赤信号無視をしたり入っちゃいけない所に入ったり、タツルに冷や汗をかかせながらも我々はなんとかオーシャンサイドにたどり着いた。


オーシャンサイド
オーシャンサイドは名前の通り海のそばにある町で観光地らしくお土産が立ち並び、海には海水浴客が溢れていた。道には弾き語りをする路上パフォーマーや占い師?のような風貌の謎の男など色々いたが、私が特に興味を持ったのがタトゥーショップの多さだ。ノースパークでも気になったし、この先にも至る所にあるのだが、特にオーシャンサイドはまるで美容院かのようにタトゥーショップが点在していた。道行く人々も当たり前のようにタトゥーを入れており、日本との意識の違いに改めて気付かされた。
私の周りにはタトゥーを入れた友人が少なくないので、偏見などは全くないが、日本では入れ墨を入れている人は後ろ指を刺されることが多く、行動に制限があり、タトゥーショップは道のはずれに隠れるように構えてることが多い。もちろん、アメリカと日本では歴史も違うし、意識も違うので、日本が遅れていたり柔軟性がないとは思わない。しかし、日本の友人たちがこんな風に誰にでも受け入れられ、当たり前に自分のタトゥーを見せられる日が来たらいいなとは思ってしまう。

リバーサイドでチャーリーが車で爆走した道を歩いていると、タツルが急にソワソワしだした。アメリカに来てからソワソワするのはいつでも私の方だったので何があったのかと聞くと「今、マック・デマルコとすれ違ったかも、、」と言うのだ。そんな馬鹿な。そんなスターがこんな所にいるわけない。と思ったが、ここはアメリカ、しかもカリフォルニアの一等地なのだ。
ありえる。
ミーハー心を隠しきれずに追いかけたが時すでに遅し、もう影も形もなかった。彼が本物のマック・デマルコかは分からないが普段会えるわけがないと思っている人物と会えるのがここなのか。アメリカンドリーム!

そうこうしているといつの間にか日が暮れてきた。ライブの開場は18:30。絶対に間に合わない。我々は急いでノースパークへ戻った。渋滞に巻き込まれたり道を間違えたりして、ノースパークに着いたのは20時半。New Found Gloryのライブが始まる30分前だった。危ない。
彼らのホームであるカルフォルニアでライブを観ることができた喜びと、10代前半の頃に聴き、こんなバンドになりたいと憧れた存在を目の当たりにすることができた感動で、私は終始涙を流していたと思う。ライブを観て泣いたのは、初めてAmeican Footballを観た時以来、2回目だ。
私にとってこの日は忘れることのできない、かけがえのない1日になった。


ここでDay 2の旅行記を締めくくることができれば、何のトラブルもない、平和な旅なのだがそういうわけにはいかない。まだ少しだけ続く。
サンディエゴでのライブを無事に観終えた我々は、その日のうちにロサンゼルスに戻る予定があった。サンディエゴからロサンゼルスまでは約3時間。ライブハウスを出た時間は23時を回っていた。ホテルに着いたら何時なのかなど、恐ろしいことは考えるのをやめて、我々は腹を満たすために夜遅くやっている飲食店を探した。
アメリカに行ったら、常に何かを食べてブクブク太るかなと思っていたが、何かとバタバタしていてご飯を楽しむ時間がない。アメリカでの食生活についてもまた別の時に改めて書こうと思う。
車を走らせているとカリフォルニアのローカルバーガー屋《In-N-Out》があった。時刻はすでに0時を超えていたが、ここは1時まで開いていた。In-N-Outはハンバーガーフリークにはかなり有名なバーガー屋で、日本にはないにも関わらずその名前は私でも知っているほどだった。普段の私なら2日連続でハンバーガーを食べるなんてありえないが、ここはアメリカ。郷に入っては郷に従え、私は喜んでハンバーガーを頬張った。
In-N-Outは観光客にも人気のためか簡単なセット注文というのができ、ダブルバーガーやチーズバーガーのセットなど、No.1〜No.3まで好みのセットを頼めば簡単に注文できる仕組みがある。まだオーダーの仕方に慣れてない私にとってこのサービスは大変助かった。私は大きな声で「No.2!!!!」と叫んだ。
すると「バーガーの玉ねぎはフライにする?」的なことを聞かれてしまった。もちろん英語で。予期せぬ事態に固まってしまう。タツルたちはもう既に注文を終えて席に着いている。心細い。置いていかないでほしい。困っているとスタッフの女性がもう一度ゆっくり話してくれた。そうするとなんとなく聞かれてることが分かり、「フライ! プリーズ!」と頼むことができた。
そばかすの似合う赤毛のパーマの女の子。恋に落ちるところだった。
In-N-Outはこの先も何度も行くことになる。ポテトを店でスライスし注文が来てから揚げるためとても美味しい。頼んだチーズバーガーもとても美味しかった。だが私の記憶に残っている初めてのIn-N-Outは赤毛の女性スタッフで埋まっている。

結局ホテルに着いたのは夜中の3時を超えていた。ロサンゼルス空港に面したホテルは外にホームレスも多くいて夜中に出歩くのは危険に思えた。ショータローとタツルはそんな中コンビニに向かったが、私は疲れていたし欲しいものもなかったため先に部屋に戻らせてもらった。
部屋に着くとすぐに部屋の外からドアを開けようとする音が聞こえる。タツルが戻るには早すぎるが忘れ物だろうか、とドアを開けようとしたが嫌な予感がしたためドアの覗き穴から覗いてみると、全く知らないスパニッシュ系の男女が私の部屋を開けようとしていた。
なぜ??
私が部屋を間違えたか? いや、それはない。とりあえず部屋を取ってくれていたショータローに電話するが繋がらない。タツルにかけるが同様だ。その間も見知らぬ2人はドアを開けようとガタガタしている。放っておけばそのうち諦めるだろうと様子を見ていたが、このままでは廊下でタツルと不審な2人が鉢合わせてしまう。それは避けたい。
私はとりあえず部屋のドアを蹴ってみた(なぜ??)。
そうすると先ほどよりもいっそうドアを開けようとしてきたので怯んだ。そんなよく分からない攻防をしていると、ショータローから折り返しの電話が来た。「部屋を間違えているんだろうからそれを説明したら?」と言われるが、そんな説明ができる自信がない。
困っていたのだがそんな話をしているといつの間にかドアを開けようとする2人はいなくなっていた。どうやら本当に部屋を間違えており中から話し声が聞こえたため気付いたようだ。もっと早く気付くことはできなかったのだろうか。安心しホッと胸を撫で下ろしていると、またすぐにドアをノックする音が聞こえた。戻ってきた。。。。ビクビクしながら覗き穴を覗くと、タツルとショータローがそこにいた。2人は「大袈裟だなー」と笑ってたが、私にとってはかなり恐ろしい体験となった。
そんなこともあり心身共に疲れ切った私は、ベッドに横になると再び泥のように眠りに落ちた。
こうして私の2日目のアメリカ旅は幕を閉じた。明日はラスベガスに向けて5時間弱のドライブだ。私たちの旅はまだまだ続く。

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Goseki

