Gosekiのアメリカ徒然探訪録:Day 3
2022年8月、Awesome &roidのベーシストであり、musitのライターでもあるGosekiが、バンド・メンバーでヴォーカル/ギターのタツルと、カメラマンのショータロー(NEW FAT GLORY)と共に、人生初の海外、そして人生初のアメリカを訪れた。ここに綴られるのは、Gosekiがその目で見て、その耳で聞いて、その手で触れたものたちの、大いなる記録である。
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8月3日
この日の朝は特に何もなく清々しい気持ちで起きることができた。少しずつ体もアメリカに慣れてきているのだろう。体型までアメリカに染まらないように気をつけねば。
今日もNew Found Gloryのライブを観に行く。会場はラスベガスのど真ん中にある《Brooklyn Bowl》だ。ロサンゼルスから会場までは約460km。大体東京から奈良までの距離を運転することになる。日本の感覚で言えばなかなかのロングドライブだがアメリカでは普通なのだ。ここは全てが大きすぎて時々自分がやけに小さく感じてしまう。
ロサンゼルスに向かうまでの道は《ネバダロード》といい、広い荒野をただひたすらにまっすぐ伸びた道を進む。砂漠のような荒野が一面に広がった景色は全てが新鮮に見えて、運転しているだけで楽しい。が、1時間もすればその景色にも慣れてくる。むしろずっとまっすぐにしか進まないし景色も変わらないので眠くなる。ショータローと交代で運転できて良かった。1人ではしんどかっただろう。
ガソリンの入れ方すら日本とは違う。どうやって入れて良いのかわからずオロオロしていると売店のお婆さんが助けてくれた。アメリカのガソリンスタンドには必ずコンビニやサブウェイなどの軽食屋が併設されている。ただの補給場ではなく、サービスエリアのように休憩所も兼ねているのだ。
道中でやたら長い貨物列車を見つける。ゆっくりと動いているのだがいつまで経っても終わりが見えない。山手線なら1周してしまうのではと思うほど長い列車だった。そういった景色の一つひとつをちゃんと記憶に残していきたい。写真も撮るが一番はこの眼で見た記憶を残すために、私は瞬きの数を減らしてカリフォルニアを目撃した。

ネバダ州に入るとカリフォルニアとの気温の差に驚く。カリフォルニアも日差しが熱く気温は高かったが、湿気はなく風も吹いていたのでそこまで暑さを感じはしなかった。が、ネバダはとにかく暑い。基本的に40度を超えているし、日差しもカリフォルニアとは比べ物にならない。卵をボンネットに割れば数分で目玉焼きができるだろう。こんな所、数分でも歩けば熱中症でぶっ倒れるのではと思うほど暑かった。
しかしその分、ネバダの砂漠は美しく見えた。まるでSF映画によくある砂の惑星のようにどこまでも続く砂漠は、実際に『スターウォーズ』の撮影などにも使われているそうだ。

目的地であるラスベガスは、そんなネバダの砂漠の中に突如現れる。まるで幻影のオアシスのような異次元感がある。映画などでよく見た「大都会」のイメージがそのまま私の眼前に広がっていた。
新宿や渋谷なんかは足元にも及ばないほどの豪華絢爛さに私たちはすこし立ちすくんでしまった。金色のビル、ピラミッド型の何か、色とりどりのホテル、そしてカジノ。ホテルの前には昼間でも派手な格好をしたショーガールが客引きをしている。人間の欲望を体現したような街だと感じた。こんな所に来ることがあるのか。

ラスベガスに着いたらまずはホテルにチェックイン。オンラインでチェックインしようとしたが上手くいかず、ホテルのスタッフに助けてもらおうとするが全然優しくない。自分でなんとかしてと言わんばかりの態度に腹を立てながらもなんとかできた。
本日泊まるホテルは《フラミンゴホテル》。この旅で一番の高級ホテルだ。カジノも隣接されており、中庭には巨大なプールもある。今回の楽しみの一つだったが、長時間の運転と予想を超える暑さでバテてしまい少し部屋で休憩することにした。

フラミンゴ・ラスベガス
ホテルのすぐそばにあるピザ屋でテイクアウトし3人でピザパーティー。本場のピザは美味かった。また、日本のピザに比べて安価で食べられる。日本ではピザはご馳走だが本場にとってはファストフードの定番なのだろう。
ラスベガスで一番驚いたのは物価の高さだ。ホテルの売店でコーラを買うと4ドル(約560円)、水は7ドル(約980円)だ。そう、驚くことにアメリカではジュースより水の方が高いことが多い。特にネバダは水不足になることが多く、水は貴重なのだ。それにしても高い。日本円で考えると頭が痛くなる。
ラスベガスもロサンゼルス同様にホームレスが多くいた。だがロスと違ったのは、彼らはどこか楽しそうだったことだ。エルヴィス・プレスリーのコスプレをした者や踊ってお金を稼ごうとする者まで、彼らもまたエンターテイナーとして街に馴染んでいた。こういった地域性が出るということも、実際に行って肌で感じなければ分からないことだ。
仕事のためショータローとまた別れタツルと行動する。せっかくだからとビールを買い、外を歩きながら飲もうとするが、警察に警戒の眼を向けられる。アメリカでは基本的に路上でお酒を飲むことが禁止されている。我々が飲んでいた区画は飲酒を許された場所だったが、そこから一歩でも出れば何を言われるか分からない。用心してホテルに戻ることにする。せっかくなのでプールを見てみようと思い、ホテルのプールサイドの方で酒を飲むことに。アメリカ、ラスベガスのホテルのプールサイドで男2人で酒を飲むことがあるなんて、と笑いあった。
もう1つ気付いたことがある。アメリカは犬を連れている人がやたらと多い。大体どの施設でも犬を連れて入れるのだ。電車やホテル、モールの中など、至る所で犬を連れている人を見かける。日本だと逆に犬を連れられる施設を探す方が大変だが、アメリカはどこでも犬を連れて行ける。なんて羨ましい(もちろん、禁止の所もある)。日本もそうなってくれたらどんなにいいか。

ライブ会場の《Brooklyn Bowl》は70年代のパブを彷彿とさせる内装で、なぜかステージ横にはボーリングのレーンがあり、VIPはライブを観ながらボーリングができる(演奏中はさすがにダメかも)。さすがラスベガス。いるだけでワクワクする仕掛けが満載だ。
せっかくなのでビールを注文する。タツルに教えてもらった英語「Can I Get The Beer」がだんだんと通じるようになってきた。ラスベガスは観光地だからある程度の発音の悪さは許容してくれているのかもしれないが、それでも自分の英語がちゃんと伝わったということは嬉しい。
この日のNFGのライブも最高だった。下手の前列側でライブを観ているとベースのイアンが私に向かってピックを投げてくれた。きっと横にいるギャルやおじさんもこのピックを取りたいだろう。だが、私にはイアンが自分に向かってピックを投げたという確信があった。目が合ったのだ。
普段の私の動体視力ではキャッチできなかったかもしれない。だが今回ばかりは取らなくてはならない。私は死に物狂いでピックをキャッチした。
このピックは一生の宝物だ。
ライブが終わり、私とタツルはラスベガスの夜を体感するために街を歩いてみた。予想を遥かに超えてラスベガスの街は輝いていた。少し歩けばこれからサンバでも踊るのかというような風貌のショーガールが胸の谷間にチップを挟めと要求し、その横にはホームレスが物乞いをしている。時刻は既に24時を超えているにも関わらず、人の波は昼よりも多く皆楽しそうに歩いている。私はこの街に多少の嫌悪感と恐怖を覚えていた。日本のベッドタウンで生まれ育った私にとってはこの街は自由が過ぎていた。
しかし、せっかくラスベガスに来たのだからやっておきたいことが1つだけあった。もちろんカジノだ。私はギャンブルをやったことがない。そういうものに勝てる自信がないからだ。だが、カジノというものには憧れがあった。なぜか。それは私が幼少期から親しんでいる『ドラゴンクエスト』に必ず出てくるミニゲームにカジノがあるからだ。予習はバッチリということだ。ショータローと合流して3人でカジノに向かった。いざ、アメリカンドリーム!
私はラスベガスに「カジノ」という大きな賭場があるのかと思っていたが違った。ラスベガスのホテルの中にそれぞれカジノがあり、各々がそこでゲームを楽しむ。言うならば大人のゲームセンターのようなものだった。てっきりドレスコードなどが必要なのかと思っていたから面食らってしまった。もしかしたら必要なところもあるのかもしれないが。
ちなみに我々が泊まったフラミンゴホテルにもカジノはあった。しかし少しチープだったため、我々はラスベガスでも大きい《ニューヨークホテル》のカジノへ向かった。
ニューヨークホテルで我々は遅めの晩ごはんを食べた。ピザだ。昼もピザを食べたがまあアメリカってこういうものかーと諦めピザを平らげ、いざカジノへ!

やりたいゲームは決まっていた。ルーレットだ。
ルーレットの中にボールを投げ込み入ったマスによってコインが増えるという仕組みのギャンブルで、私はこれに自信があった。なぜならドラゴンクエストのカジノで私は何度もジャックポット(一番レアで何百倍にもなる)を当てているからだ。もちろん、ゲームと現実が違うことくらい理解している。が、ルールを知っているという点で私はルーレットにかける思いがあった。
結果から書いてしまうと、私は負けた。何度かは勝ち、持ち金を増やすこともできたが、最後の最後に大勝負に出て、私は負けてしまった。
と言っても額でいうと20ドル。だいたい3,000円くらいだ。なんだ、そんな額しか賭けてなかったのか、とガッカリしただろうか。仕方がない。我々3人ともこんな所でお金を賭けるほどの予算がなかったのだ。今回の旅の目的はカジノではなかったし、この先も旅は続く。私たちは1回の勝負で5ドルしか賭けないというルールのもとゲームをしていた。ちなみにタツルは5ドル負け、ショータローは5ドル勝った。そして、私は20ドル。。。。自分にギャンブルの才能がないことを認識できたこと、そしてカジノを体験できたことの勉強代として諦めた。

ホテルに戻ったのは午前3時。次の日はまたカリフォルニアに戻りリバーサイドに向かう予定だ。またあの長いネバダロードを超える。7時には出発しなくてはいけない。我々は興奮醒めぬままベッドに入るが、やはり疲れているためあっという間に寝てしまった。
こうしてラスベガスでの怒涛の1日が終わったのだ。
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Goseki

