Gosekiのアメリカ徒然探訪録:Day 6
2022年8月、Awesome &roidのベーシストであり、musitのライターでもあるGosekiが、バンド・メンバーでヴォーカル/ギターのタツルと、カメラマンのショータロー(NEW FAT GLORY)と共に、人生初の海外、そして人生初のアメリカを訪れた。ここに綴られるのは、Gosekiがその目で見て、その耳で聞いて、その手で触れたものたちの、大いなる記録である。
Gosekiのアメリカ徒然探訪録(特集ページ)
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8月6日
5日間に及ぶNew Found Gloryの追っかけツアーも本日が最終日となる。場所はアリゾナ州テンピ。アナハイムからは7時間の長距離運転だ。
日本で例えれば東京から大阪ほどの距離だが、この頃になると感覚がバグっているため特に辛いとは思わなかった。私とタツルとショータローの3人の間には絆が芽生え、この3人ならどこへでも行けるのでは、という気持ちにすらなる。こんなに長い間、家族以外の人と寝食を共にすることは、今後もうないのではないだろうか。なんとなくの寂しさを感じながら、私たちは早朝6時頃、アナハイムのモーテルを出発した。

ショータロー
アリゾナはネバダと同じように砂漠地帯だ。だが景色は少し違って見えた。
ネバダは辺り一面平坦な荒野が広がっており、誰もが想像する「THE砂漠」というような風景が広がるのに対し、アリゾナはグランドキャニオンが近い影響か岩山が多く、渓谷の間を縫うように道路が作られており、渓谷の通り風を利用した風力発電などが展開されていた。
そしてアリゾナはとにかく暑かった。その暑さはラスベガスを超えていたと思う。体感では今まで生きてきた中で最も暑かった。湿度も日本と同じくらいあり、蒸し暑さと太陽の直射の熱により地獄の釜のような暑さだ。ボンネットに卵を落とせば瞬く間に目玉焼きができたことだろう。やってみればよかった。


昼休憩などしながら進み、アリゾナに着いたのは13時頃だった。仕事があるショータローをライブハウスで降ろし、私とタツルは近くにある大型ショッピングモールで暇を潰すことにした。テンピにある《アリゾナ・ミルズ》は西海岸エリアの中でもかなり大きい規模のモールらしく、暇を潰すにはちょうどよかった。とにかく外が暑すぎて、どこか涼しい空間に行きたかったのが本音だ。
ショッピングモール自体の作りとしては日本とさほどの違いはないのだが、とにかく広い。そろそろ1周したかと思っても、まだ半分ほどしか見ていなかった。しかし、ただ暑さをしのぎに来ていた私たちにはそれほど魅力的なショップはなく、家族連れのパパよろしくベンチで座っていた。
様々なお店が立ち並んでいる中で私が気になったのは、日本のアニメグッズの多さだ。『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『NARUTO』など、日本の漫画が人気だということはよく耳にしていたが、若者向けのショップには、ほぼ必ずそれらのTシャツやぬいぐるみ、アクセサリーなどのグッズが置いてあった。日本ではジャンプショップやアニメイトのような専門店に行かなければ買えないグッズも多いので、日本のアニメに対する感覚の違いに驚いた。
モールに飽きた私たちは、先にホテルに行って休憩することにした。そもそも7時間運転を続けて来ていたのだから、もっと早く休めば良かった。アメリカにいると1日が長く感じ、自分が疲れているのをつい忘れてしまう。


疲れのせいかただの不注意か、ホテルに向かう道で左折する際に日本の感覚に戻ってしまい、反対のレーンに入って逆走してしまった。幸い、車通りもそこまで多くないレーンで、対向車も異変に気付き止まってくれたため、慌ててバックし元のレーンに戻ることができたが、危うく大事になるところだった。アメリカでの運転にも慣れてきて、少し油断してしまっていたのだろう。改めて気を引き締めねばと思っていたところ、ホテルの直前でまた逆走しかけてしまった。今回は助手席にいたタツルが慌てて声をかけてくれたため未遂で済んだが、彼には心底呆れられてしまった。「二度あることは三度あるから、きっともう一回やるかな」と冗談を言ってみたが、少し怒られてしまった。
今回宿泊するのは最近できたばかりの綺麗なホテルで、おそらく今回の旅の中で最もちゃんとしたホテルだっただろう。今までのモーテルも不満はなかったが、段違いのベッドの柔らかさと適温なシャワーは長距離運転をした私の疲れを癒してくれた。
3時間ほど眠っていただろうか。時間は18時を超えていたが、外はまだ明るいため夕方になったという感覚が湧かない。

タツル/ホテルの近くにて
ホテルを出ると、日も傾いているにも関わらずまだまだ気温は高かった。夜は肌寒さすらあるカリフォルニアとは違い、アリゾナは蒸し暑く、日本の気候に似ていた。ライブ会場までは歩くと15分ほどだったため車で行こうか迷ったが、私とタツルは歩くことにした。会場は川を繋ぐ大きな橋を渡ってまっすぐ進んだ先にあり、道も広く危険は少ないと判断した。それに何より、今日はもう短い距離でも運転をしたくなかったのだ。
今日の会場は《Marquee Theatre》。これが今回観る最後のNFGのショーとなる。会場についてすぐに私はビールを注文した。最後のライブはビールを飲みながらゆっくりと鑑賞したいと思ったのだ。
アメリカでお酒を買う時は、絶対に身分証を提示しなければ売ってはくれない。さらには、州にもよるがカリフォルニアでは21歳以上でなければ飲むことは許されず、日本よりも厳しい。前にも書いたが外で飲み歩きをしようものならすぐに止められる。だが、よく分からない部分で緩いルールもある。1杯だけなら飲んでから車の運転をしてもいいのだ。
これは我々日本人からすると、ありえないと思う。その1杯の定義も特に決まっておらず、要は酔っ払っていなければ運転はしてもいいのだそうだ。さすが車社会というか、アルコールに強い国ならではなのかもしれない。やはり感覚的に飲酒運転はできないので、その後運転がある日などはお酒は控えていたが、今回は歩いてきたため飲むことにした。
ビールを買い、人混みをかき分けステージサイド側の前方にまで行くことができた。今回のツアーをNFGと共に回っていたFour Year Strongが圧巻のライブを終えると、いよいよ私たちにとって最後のライブが始まる。
正直、5回も同じライブを観れば、どんなに好きなアーティストでもさすがに飽きてしまうのではないかと不安もあったが、結論から言うとそんなことは全くなかった。彼らは5回とも最高のライブをしていたし、5回の新しい発見があった。こんな貴重な体験はしようと思ってできることでは絶対にないだろう。濃密な旅に誘ってくれたショータローには感謝しかない。
今回のツアーでは、5日間全てのライブでアルバム『Sticks And Stones』をセットリスト順に演奏する。その後メンバーは一度退場し、第2幕が始まる。第2幕の曲は日によって違った。毎日観ていると、どの曲で誰がどんなパフォーマンスをするのかなど予想がつくようになる。私はバンドの一挙手一投足全てを見逃すまいと、瞬きの回数を減らして食い入るようにライブを観た。持っていたビールは飲むのも忘れぬるくなってしまっていた。
私が初めてNew Found Gloryのライブを観たのは高校生の頃、サマソニだったかパンクスプリングだったか曖昧だが、地元で開催されたフェスに友人の自転車で観に行ったのが始まりだった。そこから2回ほど来日公演に通い、気付けば自らもバンドを組んでいた。
人生の岐路とも言えるバンドを彼らの住んでいる国で目撃できる日が来るなんて。毎日思っていたことだったが、最終日になり、しばらくはもう彼らのライブを観れないのだと思うと、自然と涙を流していた。
NFGのライブを観ただけでもアメリカに来た価値はあったなとしみじみ感じた。バンドを長く続けていくと不意に自分たちの道を見失ってしまうことがある。何を目標にしていいのか、どこに向かえばいいのか、いつになったらそこに辿り着けるのか。そんな言い表せない不安や焦燥感が頭を渦巻き、耐えられなくなった時、人は夢を諦めるのだろう。
Awesome &roidは今年、念願だったアルバムをリリースし、長かったツアーを終えて、少し燃え尽きかけていたような気がする。ちょうど何を目標にしていいか分からなくなってきたところだったのかもしれない。そんな時に観たNFGのツアーで、私とタツルは見失いかけていた指標を再び見つけることができたのだ。
日本でNFGのツアーサポートをする。そしていつの日かアメリカでNFGと共にツアーを回る。すぐには叶えられないかもしれない。しかしそのための行動を続けていくということがバンドを続けることに繋がり、バンドを続けていけば叶えられない夢ではないだろう。
大きすぎる目標を見つけ、私たちのNFGツアーは終了した。

Awesome &roid
ライブハウスからホテルへの帰り道、車を探そうと外へ出たところで、自分たちが歩いてきたことを思い出した。外はすっかり暗くなっており、川を渡るための橋の下では若者たちが不穏な集まりをしている。すっかり嗅ぎ慣れてしまった大麻の臭いもどこからともなく漂ってくる。私は知らないうちに慣れてしまっていたが、アメリカは昼と夜では全く違う国だということを思い出した。
車で来なかったことを後悔しながらも、ホテルまでは1本道であるため気をつけて帰ろうとした瞬間、近くで爆竹が破裂したような音が鳴り響き、私たちはすぐにウーバーを呼びホテルまで送ってもらうことに決めた。
ウーバーとは個人の配送サービスで、タクシーのように専用の車は必要なく、登録さえすれば自分の車で人を運ぶことができる。タクシーよりも安価で、アプリで簡単に呼ぶことができるため、アメリカの交通手段として近年ポピュラー化しているサービスだ。日本でも実装されれば便利なのだが、日本では商業目的で人を運ぶためには資格が必要なので難しいかもしれない。


川を渡るための長い橋(夜は怖い)
ホテルに着き、シャワーを浴び、私たちは夜ご飯を買いに再び出かけた。アリゾナは夜になっても相変わらず暑い。せっかく汗を流したのにまた汗だくになってしまうのは嫌だったため、結局私たちは車で出かけた。
ショータローと合流し、テンピのダウンタウンへ向かう。休日だったこともあり大勢の人で賑わっていた。みんなお酒を飲んでおり、誰かが花火でもしているのか道路に煙が上がり、警察まで出動していた。疲れていた私たちはこの盛り上がりの中に入っていく気力がなかったため、スーパーで軽食を買いホテルで食べることにした。
部屋に戻り、3人でこれまでの6日間について話す。トラブルもあったがとにかく楽しい旅ができたと思う。サンディエゴ、ロサンゼルス、ラスベガス、リバーサイド、アナハイム、テンピ。いろんな所に行った。この数日だけでも移動した距離は1,700kmを軽く超えていた。青森から福岡まで行くよりも長い距離を運転したと思うとゾッとする。それと同時に日本の狭さ、世界の広さを改めて実感することができた。
明日は1日かけてロサンゼルスまで戻り、残りの期間はロス周辺で活動することになる。ここまでの長距離運転をするのは明日が最後かと思うと寂しい気持ちになる。
3人とも体力の限界を迎え、知らず知らずのうちに眠りについてしまった。
こうして長いようで短かったNFGツアーが終了した。しかし私たちが帰国するまで、まだ2週間残っている。まだまだアメリカを堪能できそうだ。

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Goseki

