イヤホンを失くした。あの場所で落としただろうなと明確な心当たりがあったから、翌朝、注意深く探しながら歩いた。
でも見つからなかった。
音楽のない生活はつらい。耐えられない。
「以前使っていた有線のがまだ残っているはず」とガサゴソ棚をまさぐっていると覚えのある手触りがした。
あった。そう思って引っ張り出すと、イヤホンジャックの先にSONYのウォークマンがくっついていた。
大学時代に使用していたものだ。もう10年ほど前になる。
「こんなところにいたの!」と(しまい込んだ張本人のくせに)再会に感激し、まだ動くのだろうかと充電してみる。
電源がついて画面に現れたのは。
「A」というアルファベットと、あの伝説のバンドの名前だった。
* * *
私がスーパーカーを知った時、もう彼らは既に解散していた。
思えば同時期に活動したナンバーガールもそうだった。
「ほんの少し前までこんなに素晴らしい音楽たちが息をしていたんだ」と思うと、それに気付かず過ごしていた自分の思春期を悔やんだ。
クラスの誰か、話したこともないような誰かが、きっと教室の隅でこんなかっこいい音楽を独り占めしていたんだろう。
2008年。つまらない大学生だった。
交友関係も広くなく、バイトと自宅を行ったり来たりするだけの生活だった。
その癖、音楽は付き合った男に多大な影響を受けて、それを自分のアイデンティティとすり替えることだけはぬかりなくしていた。
怠惰を掻き集めて生きていたその頃に、誰から借りたかも覚えていないスーパーカーのアルバムのベストアルバム『A』を繰り返し聴いた。
1曲目の「cream soda」は1997年に発売されたスーパーカーのデビュー・シングルだ。冒頭で鳴らされるリフが爽快感があってたまらない。それから2曲目の「Lucky」。ベースボーカルのフルカワミキがメイン・ヴォーカルを務めており、そのフラットな歌い方が癖になる。そして3曲目の「PLANET」。切ないメロディに言葉数の多すぎない歌詞がマッチしていた。
‘‘どうかしていたんだろう、君も僕も
知りたくなんてなかったんだろう
2人の仲はどうでも 会いたいなんて言うのさ’’
シングル発売順に並んでいるこのアルバムは、この3曲目が続く時点で完全に心を掴まれてしまう。
そこから最後のシングル「WONDER WORD」(私の最も愛する楽曲)まで、スーパーカーはそのままにサウンドが変化していく。
このアルバムの面白さは、その「バンドのサウンドが徐々に変化していく様」が顕著に表れているところにある。
後半になるにつれ電子音を豊富に取り入れたりクラブ・ミュージックの要素が加わったりと多様な顔を見せ、バンドがいかに柔軟さを持って成長を遂げていたのが窺い知れる。
ああ、どうして2005年の私はこのアルバムの存在に気づけなかったのか。
田舎のチャラついた高校生だった私に、時を超えて届けたくともそれができないもどかしさ。
「YUMEGIWA LAST BOY」が主題歌になった映画『ピンポン』だって観ていたはずなのに。
あの頃の私に教えてやりたい。
本当の「かっこよさ」は人の真似による産物ではなく、自ら「見つけるもの」なのだと。
そして本当の「自分らしさ」は、「貫くもの」ではなく「変化するもの」なのだと。
* * *
古いウォークマンでアルバムを聴いていると今度は映像で会い直したくなり、YouTubeで検索した。
公式ではないチャンネルが上げる動画に、彼らの音楽が息づいていた。
私はコメント欄を下へ下へとたどった。どこまでも伸びていく。
平成から令和へと時代が移っても彼らの音楽がそこにはあった。
「当時」のスーパーカーを「現代」の私たちが聴いている。
音楽は死なない。だからすごいのだ。
コメント欄の言葉を目でたどる。
果たしてこの声はどこに届いているのだろう。
どうか届いていてほしい。無理を承知で、あの頃の彼らに。そしてあの頃の私に。
時を超えて今もなおこんなにも愛されていることを、もっともっと世に知らしめる必要があるから。
* * *
解散したバンドが教えてくれることが2つある。
1つは、リアルタイムで知れなかったことに対する後悔。
そしてもう1つは、どれだけ時が経っていても色褪せない楽曲への称賛だ。
私たちはこれからも、アーティストへの愛とリスペクトを叫び続ける必要がある。
なぜなら彼らが音楽を続けてくれることは決して当たり前じゃない。
古いウォークマンを親指で撫でながら、残り少なくなっているカレンダーに目をやった。
何もかもがままならない1年だった。
けれど自分には何もなく、ただじっと丸まっていたのかと言われると、そうではない。
不自由な生活の中でやれることをやっていた。私だけじゃなく、誰もがそうだろう。
こうして人は少しずつ環境を変えながら、その時の「最善」を整えていくのだ。
だから私も変化する。上手くいかなくても立ち止まらず、ゆっくりと社会に順応して。
それこそが、スーパーカーが教えてくれた「流動的な自分らしさ」なのかもしれない。
自由に動けないこの冬は、新たなものを生み出すことにこだわるのではなく、積もり積もった財産である名曲の数々を振り返っていよう。
音楽に何度も出会い直す。遅すぎることはないのだ。
2020年が終わる。この季節に、スーパーカーにもう1度出会えて良かった。もう1度口ずさめて良かった。
◯写真提供=Mayumi Hiwada