淡い香り漂う檸檬からショッキングピンクのフラミンゴへ──米津玄師が遂げた「変身」の姿
ボーカロイドPとしての活動を経て2013年「サンタマリア」でメジャーデビューを果たし、以降多くのヒット作で現代のJ-POPシーンを牽引している米津玄師。自身にとって約2年半振りとなるアリーナツアーが、9月23日(金・祝)の東京公演を皮切りにスタートする。
冠せられたタイトルは『米津玄師 2022 TOUR / 変身』。時代の寵児となった彼にとっての「変身」とは。また、そこから見えてくる希代のアーティストとしての姿を綴っていきたいと思う。
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米津玄師の代表曲といえば、多くの人は2018年2月12日に配信リリースされた8thシングル「Lemon」を挙げるのではないだろうか。
楽曲はTBS金曜ドラマ『アンナチュラル』の主題歌に抜擢され、社会現象を呼ぶほどのメガヒットを記録。ドラマ終了後もヒットチャートの上位に残り続け、数々のアワードを受賞する偉業を成し遂げた。
彼の創り出す曲から確かな才能を感じられること、イヤフォンから伝わる彼の音楽がいつだって心地良いこと、ほかには類を見ない絶対的な感性にハッとさせられること……その全てに感嘆してしまう。彼の音楽を聴く度、希代のアーティストと同じ時代に生きられていることの喜びを感じるのだった。
そんな米津玄師の曲を日頃聴いていると、分かってくることがある。それは彼が「どこにも行けない≒どこにも行こうとしない人間」であるということだ。
彼が手掛けた初の単行本『かいじゅうずかん』には「かいじゅう」と呼ばれる、怪獣とは似て非なる奇妙で愛らしい生き物たちが登場する。また楽曲を聴いていると、胸の内にモンスターを潜ませながら生きる「普通じゃなくてどこにも行けない自分」が垣間見えることがある。一連のアートワークを見て感じることは、人間とは複雑で、生来どこかに定住して生きる種なのではなく、表層と内面では異なる姿を持つ生き物なのだということだ。

自身の抱く多面的で放浪めいた部分を、しばしば作品として表出する米津。「Lemon」が爆発的ヒットした状況について、彼はこう言っている。
‘‘「Lemon」でいわゆる自分と真逆のところの人にまで届くようなものが作れたのは、自分の目標を1個達成できた瞬間だったんですよね。’’(『Cut』2018年11月号より)
「Lemon」の大ヒットと、それにより様々なタイプのリスナーに自分の曲を届けられたこと。それが人生の第一章を締めくくる出来事だったと、彼は言う。
では、第二章はどこから始まるのか? そのターニングポイントが、メジャーデビュー通算9作目の両A面シングル「Flamingo/TEENAGE RIOT」の発表だったという。
変な自分をある程度認める──清廉潔白な「Lemon」でのイメージとは一転して、自分には奇抜な一面もあるのだという意思が、本作に収録された「Flamingo」という曲に表れている。
タイトルからは想像もできないリリックと歌唱法。ヒップホップやR&Bのテイストもあり、洋楽じみた雰囲気を醸し出しながらこぶしを多用する民謡的なメロディも窺える曲調は、リスナーを戸惑わせるような独特の装いを見せる。
実にエキセントリックで高次元な作品だ。「Lemon」を聴き込みすぎるあまりに忘れていた感情が「Flamingo」によって思い出させられた。むしろ私が知っていたのは「こっち側の」彼だったのだ、ということを。
筆者にも自分が単純ではない人間だと自覚する時がある。だからこそ彼の試みと、自分のおかしさを認め、みっともない部分を出していきたいという思いにリスペクトを感じる。そんな風に生きていけたら良いけど、なかなか出来ない歯痒さに似たものを知っているから。
「普通じゃない」彼が好きだ。どうかそのままでいてほしい。〈どこにも行けないな〉なんて言っていたけど、今はもう「どこにだって行ける」のではないだろうか。
貴方になら。そう、貴方のような勇敢な人なら、きっと。
「どこにだって行ける」。その先に見えるものを音楽にして、絵に描いて、声に出して表現する。
1羽のフラミンゴが飛び立った先を、2022年の彼は歩んでいる。
新たなモンスターの出現、花の壁に似た何か、群れの競争に負けた獣の遠吠え、果実の片割れ。これまでに紡いできた物語を大事に壊れぬよう抱えながら、未踏の世界を切り開いていく。
米津玄師の可能性が見せるものに、「単純」の2文字はない。複雑で、愛おしくて、それでいて人間の本質を誰よりも鋭く突いている。
これからの未来を、彼はどんな風に表現し、生きていくのか。同じ時代に並んで走ることのできる興奮が、生きることに不器用な私をどこまでも勇気づけ、夢中にさせるのだった。
安藤エヌ
