コロナ禍の長い夏を、RADWIMPSの「夏のせい」で疾走する

コロナ禍の長い夏を、RADWIMPSの「夏のせい」で疾走する

コロナ禍、という新たな時代を迎えた現代。

「今年の夏は、いつもと違う夏になります」

東京都知事がそう宣言した通り、2020年の夏は例年にない様相を示した。毎年恒例で開催されていた花火大会や海開きが中止になり、大規模な音楽フェスなどが軒並み見送りになった。

そんな時、1つの曲を聴いた。RADWIMPSの「夏のせい」だ。

ヴォーカルの野田洋次郎氏が「変わってしまった夏だけど、いつもの気持ちを取り戻せるように。いつもの夏を思い出せるように」と作ったこの曲を聴いて、私は自分の胸に、茹だる熱帯夜の中、一筋の涼やかな風が吹いて、それが頬を掠めていった時に感じる夏の情緒を思い出した。

ここに私の望んでいた「夏」はある--そう思うことができたのだ。

夏のもたらす疾走感を紡いだ歌詞

夏という季節は、疾走感がある。具体的に言い表すと、冬が長距離走だとするならば、夏は短距離走、という感じで、それもスタートダッシュで爆発的にスピードを上げる走り方だ。季節の巡りも、体感で感じるものも、空模様も、感情も、すべてが目まぐるしい。

そんな夏という季節を、これまでも多くのアーティストが作品にしてきた。音楽にとどまらず、絵、マンガ、小説……。これだけ多くの夏を描いた作品があるということはつまり、この季節が人にもたらす情緒的な部分が、日本人の心に根差した様々な感情に深く染み入るからだろう。

しかし今年の夏は先に記したように、恒常の夏とは違う。時間がゆったりと流れ、疾走感が失われている。それはまさに、コロナウイルスによってもたらされた危機に人々が苦しみ、歓喜を分かち合う余裕がなくなっているからだ。普段の夏なら分かち合えていたはずの、あの疾走感――気がつけば夏の終わりまで来ていた時の、寂寞や郷愁までもひっくるめた駆け足の感情--が、多くの人にとって感じられない夏となっている。

‘‘夏のせいにして 僕らどこへ行こう 恋のせいにして どこまででも行こう
5倍速ですべてが 駆けてくこの季節に 例えばほら、永遠でも 見に行こう’’

「夏のせい」の歌詞は、ちゃんと思い出させてくれる。私たちに「夏とはこういう季節だったのだ」ということを、鮮明に提示してみせてくれる。

助走をつけたままで忘れかけてしまっていた「疾走」はここにある、ということを、紡がれる言葉の一つひとつから感じ取られるのだ。

失われた夏の思い出に替わる音楽体験

多くの人々にとって、心にぽっかりと失われた穴のようになったこの夏。家族、恋人、友人--近しい人たちとの思い出も過去に比べて希薄になりがちな時に、「夏のせい」という曲がリリースされ、人々の耳に届いたことにより、疑似的ではあれど「ひと夏の思い出」を形成できたのではないだろうか。

少なくとも私は、今年の夏にこの曲を聴けたという「思い出」が残った。フェス中止への無念さとも通じるのだが、音楽体験というのは、1つの「思い出」だ。曲を聴いて想起したこと、曲を聴いた時に周りを取り巻いていた環境、どのような動機で、いつ、誰と聴いたのか?そういったものが総じて音楽体験というものを作り出す。

コロナ禍の時代に「夏のせい」を聴いた、というのは1つの記憶であり、おそらくこれからもずっと忘れないであろう「君と僕」の夏はちゃんとあって、私たちと一緒に生きていた。そのことが、音楽で表現する夏とそれを体験する私たちを存在たらしめているのではないか。

時を越えて季節を表現する、音楽の持つ力

また、この楽曲では‘‘永遠’’‘‘3000年後’’という歌詞が登場する。‘‘永遠’’‘‘3000年後’’は、「今」と相対するものだ。
「今」を生きている私たちにとって、永遠も3000年後も想像できないほどに遠い。しかしRADWIMPSは、音1とつでそこまでひとっとびで行けてしまう。軽々と、永遠の先にある夏も、この瞬間にしかない夏も過ごしてしまう。

無限の広がりと往復を見せる音楽の存在は、「今」の苦境に立たされている私たちを元気付けはしまいか。この世の中で「音楽は無限であり、永遠である」ということを思わされることは、1つの救いになりはしないかと考えるのだ。

音楽だけは、人間という物理も世界という事象も超えていつまでも自由であり続ける。大きな命題がささやかに包まれた「夏のせい」は、まるで夏の夜空に輝く大三角形を見上げた時のような感動を私たちにもたらしてくれる。

‘‘胸躍るものだけが 呼吸するこの季節に いついつまでも 取り残されていようよ’’

歩く速度で、ゆっくりと去っていく2020年の夏。季節は巡り、また来年も夏が来る。

でも、今だけは「夏のせい」を聴いて、「夏のせい」にして、心を取り残しておきたい。

見れなかったはずの美しいものたちがきらめく音楽に、身を委ねていたいと思う9月の夕刻だった。

安藤エヌ