2021年10月29日、ザ・ポップ・グループ(The Pop Group)が1979年にリリースした1stアルバム『Y(最後の警告)』のリミックス・アルバム、『Y in Dub』が発売される。
そもそも『Y(最後の警告)』自体が過激なダブ処理を加えられた作品だが、『Y in Dub』ではオリジナル・プロデューサーのデニス・ボーヴェルが更なるダブリミックスを加えることで話題となっている。
そこで、本稿では『Y in Dub』発売前に今一度、元となったアルバム『Y(最後の警告)』について振り返ってみたい。
ザ・ポップ・グループ(The Pop Group)は、ヴォーカルのマーク・スチュワートを中心に英国ブリストルで結成。1978年、《Radar Records》よりシングル「She Is Beyond Good And Evil」、1979年には1stアルバム『Y』をリリース(日本ではワーナーより『Y(最後の警告)』としてリリース)。
『Y(最後の警告)』ジャケット
1980年には《Rough Trade》傘下に自らのレーベル《Y》を立ち上げ、シングル「We Are All Prostitutes」、2ndアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』をリリース。その後、法廷闘争など仲違いの末、1981年にバンドは解散した。
サウンドはファンク、エレクトリックジャズ〜フリージャズ、レゲエ、さらにはジャジューカやガムランといったワールド・ミュージックなど、様々なジャンルからの影響が窺える。当時の英国の切羽詰まった空気を体現したような怒りを感じさせるヴォーカルと、金属的で切っ先鋭いギター。対照的にクールなリズム隊。空間を揺らす強烈なダブワイズ、さらにはカットアップやコラージュが多用されているのも特徴だ。
The Pop Group(bandcampより)
1981年のバンド解散後、ヴォーカルのマーク・スチュワートはマーク・スチュワート&マフィア名義で活動。ON-U sound総帥のエイドリアン・シャーウッドと組んで過激な作品を次々にリリース。
ギャレス・セイガーとブルース・スミスはネナ・チェリーと共にリップ・リグ&パニック(Rip Rig + Panic)として活動。またブルース・スミスはジョン・ライドンのパブリック・イメージ・リミテッドにも参加している。
そして時を経て2010年に再結成。2011年には初来日を果たした。
1stアルバム『Y(最後の警告)』のリリース当時、ザ・ポップ・グループのメンバーはまだ10代だった。
彼らの根幹となるファンクという音楽は、どちらかといえば演奏テクニックが必要とされる。彼らの演奏は決して下手ではないが、少なくともバカテクではない。しかし、まるで彼らのレコードコレクションをひっくり返したかのように雑多な音楽的アーカイブを、ジェームス・ブラウン譲りのやけっぱちなヴォルテージでやや強引に融合させることにより、テクニックの有無を超越した彼ら自身の唯一無二の音を鳴らすことに成功している。
同時代のジョイ・ディヴィジョンがクラフトワークやノイ!のような音楽性を志向するも結果的にオリジナルとなったように、とてもパンク以降=ポストパンクらしい現象だ。恐れを知らない10代の無敵感ゆえ…とも言えるが、偶然の産物でないことは後の活動で彼らが証明している。
そして、ジョイ・ディヴィジョンが伝説的バンドとなった背景にマーティン・ハネットというプロデューサー/エンジニアがいたように、『Y(最後の警告)』にもプロデューサー/エンジニアの多大な功績があった。デニス・ボーヴェルである。
デニス・ボーヴェル(Dennis Bovell)は、1953年にカリブ海の島バルバドスに生まれた。12歳で両親と共にロンドンに移住。数々の音楽遍歴を経たのち、1970年にレゲエ・バンド、マトゥンビ(Matumbi)を結成。4枚のアルバムをリリースし、1979年にはUK音楽チャートのトップ10入りを果たす。
デニス・ボーヴェル
ミュージシャンとしてだけでなく、サウンド・プロデューサーやエンジニアとしても活躍。1979年にUK音楽チャートトップ2に輝いたジャネット・ケイの「Silly Games」など、様々なミュージシャンの作品に携わっている。
ここで、『Y(最後の警告)』において重要な「ダブ(Dub)」について簡単に説明する。
ダブは、レゲエから生まれた音響処理の手法だ。ジャマイカには移動式ディスコ「サウンドシステム」があり、そこでDJ(deejay)が音楽に合わせてトースティングと呼ばれるMCを行う。その際にVersionというヴォーカルを消したカラオケのようなトラックが使われた。
さらにヴォーカルを消すだけでなく、リヴァーブやエコー、ディレイなどの空間系エフェクトの極端な使用やミュートによって、そのトラックをリミックスした。これがダブの始まりと言われている。始祖はキング・タビー(King Tubby)。先日亡くなったリー・スクラッチ・ペリー(Lee “Scratch” Perry)もダブ黎明期からのベテランエンジニアだ。
その後、ダブの手法はVersionだけでなく、通常のレゲエ曲のミックスにも用いられていった。
『Y(最後の警告)』のプロデューサー/エンジニアを務めたデニス・ボーヴェルは、Matumbi結成以前もロック・バンドで活動しており、ロックとレゲエの両方に造詣が深かったこともあって抜擢されたのだろう(単にデビューバンドのためにジャマイカからプロデューサーを呼ぶという選択肢がなかった可能性もあるが)。
また、前年には過激な政治メッセージで知られる英国在住の詩人リントン・クウェシ・ジョンソン(Linton Kwesi Johnson)のダブ・ポエトリー作品「Dread Beat And Blood」もプロデュースしており、その実績を踏まえての起用とも考えられる。
いずれにせよ、結果的に本場ジャマイカのレゲエとは一線を画したような、過激かつ強烈なダブ処理が全編で冴え渡っているのだ。
そして、このアルバムをより特異にしているのはダブミックスだけでない。カットアップやコラージュなどのテープ編集が大胆に行われている点だ。というのも、メンバーが演奏した曲をそのままミックスして収録するのでなく、録音したテープを切り貼りして曲の前後関係を入れ替えたり、別の音源からサンプリングした音源(と言ってもサンプラーはないのでテープ録音)を繋いで再構築しているのだ。こうしたテープ編集は、マイルス・デイヴィスのプロデューサーであったテオ・マセロが有名だ。本作の音楽要素的にもマイルスからの影響が感じられるので、それらを参照した結果なのだろう。
ミキシングコンソールを操ることで、10代の有り余る音楽衝動をよりバイオレンスに、時にクールダウンさせるように制御することで、ボーヴェルはメンバーと共に、UKダブの礎となる歴史的名盤を生み出したのである。
その後、ボーヴェルはザ・ポップ・グループとも馴染みの深いThe Slitsの1stアルバム『Cut』など、ポストパンク/ニューウェーブ期の様々なミュージシャンや坂本龍一の『B-2 Unit』など、名盤と呼ばれる多くの作品に携わっていくことになる。
ザ・ポップ・グループがその後の音楽シーンに与えた影響はどれほどだったのか。
『あまちゃん』のオープニング曲で一躍お茶の間に知れ渡ったノイズ・ミュージシャン、大友良英は多大な影響を受けた音楽として、大学時代に聴いたThe Pop Groupの1stシングル「She Is Beyond Good and Evil」(とNo Waveコンピ『No New York』)を書籍『NO WAVE-ジェームス・チャンスとポストNYパンク』の中で挙げている。
また『Y in Dub』の日本盤には、電気グルーヴ・石野卓球が以下のコメントを寄せている。
「The Pop Groupの名盤“Y”を衝撃と共に愛聴していた当時の自分に教えてやりたい。“お前が今聴いているそのアルバム、40数年後にデニス・ボーヴェルのダブミックスが出るんだぜ、信じられないだろ?しかもそれが超ヤバイから!”と。」
The Raptureなどゼロ年代のポストパンク・バンドへの影響も窺い知れない。Radio 4に対しては、マーク・スチュワート自身が「聖なる街Zoo Yorkからやってきたアーバンゴリラだ」と讃えるほどの相思相愛っぷりだ。(雑誌『remix』No.158より)
そしてその後のブリストルの音楽シーン、特にトリップホップへの影響は言うまでもないだろう。
後世に多大なる影響を与えたこの歴史的名盤に、オリジナル・プロデューサーのデニス・ボーヴェルがどのようなリミックスを加えたのか? 『Y in Dub』の発売が待ち遠しい。
* * *
The Pop Group『Y in Dub』
Label – Mute Records
Release – 2021/10/29
歴史的名盤『Y』のその先へ────。
オリジナル・プロデューサー=デニス・ボーヴェルによって施されたダブ処理によって再構築された、ヘヴィ・ウェイトなダブ・アルバム完成。
狂気と美しさが交錯する奇跡のエクストリーム・ミュージック。鬼才マーク・スチュワート率いる、UKブリストルで結成されたバンドが1979年に産み落としたデビュー・アルバムにして歴史的問題作となったポスト・パンクの大名盤『Y (最後の警告)』。
斬新かつオリジナリティ溢れるサウンド、パンクのアティテュードをベースに置きながらファンク~パンク~フリー・ジャズなどが渾然一体となって混沌としたサウンドであり、加えてプロデューサーであるデニス・ボーヴェルによるダブ処理により、極めて攻撃的で怒りと苛立ちに満ちた、革新的なレベル・ミュージックへと昇華した作品だ。
2019年、発表から40周年を記念し、オリジナル・アルバム、未発表音源、ライヴ音源をコンパイルした『Y(最後の警告) ディフィニティヴ・エディション』によってその全貌が明らかにされたと思っていたが、その2年後となる2021年、『Y』のオリジナル・プロデューサーを務めた、デニス・ボーヴェルの手により、新たにダブ・ミックスが施され、これまで見えなかった音の粒子まで詳らかにされることににより、40年の時を経て『Y』のプロジェクトは完結をむかえることになる。(リリース資料より)