【金曜日の編集部】2022年2月18日/『ハリー・ポッター』シリーズに見る、愛と人間の複雑性

【金曜日の編集部】2022年2月18日/『ハリー・ポッター』シリーズに見る、愛と人間の複雑性

musit編集部による今週の振り返り。フライデー・ナイトに繰り広げる内省以上/酔いどれ未満。

PLAYBACK

編集部・對馬より

2月9日に公開した記事(2022年RATの旅──今買うべきRAT系のペダル6選)より、Kensei Ogataさんがmusitのライターとして参画する運びとなりました。kiwi、My Lucky Day、Ferri-Chrome、Moon In Juneなど、Ogataさんがエンジニアとして手掛けたシューゲイザー・バンドの作品を数多く聴いている身としても嬉しい限りです。記事の反響も大きく、読んでいただいた方全員にお礼を言って回りたい気持ちでございます。感謝感激ファズ霰です。

さて。この頃、駅のホームで会社に向かう電車を待っている時にふと空を見上げると、やたらと空が青い、と感じることが多く、その度に鮮烈な気持ちになっています。異常に青い。いや、空を見上げようと思う時はそもそも空が青い時なので、当たり前なのかもしれませんが。怖いくらい青い。空の青さなんて昔から変わらないはずなのに。強烈に青い。

なぜ今更そこまで空の青さを異様に感じているのか不明ですが、空が青いと感じられるのはとても素敵だ、ということは確かなのだと思います。心が荒み、塞ぎ込み、視線が地面に落ちてしまっては、空が青いことに気付けない。吸い込まれそうな、畏怖の念すら感じさせる視界いっぱいの青い空の、あの美しさを感じられる喜びを、逃してしまう。

シューゲイザー(shoegazer=靴を凝視する者)ばかり聴いている人間が空の話をするとは片腹痛い、あなたこそ視線が地面に落ちっぱなしじゃないですか、などと揶揄されそうな気もしますが(過剰被害妄想症候群発症中)、自らの意志で俯き続けることはすなわち逆説的に空を見上げることと同義なんですよね。何の話ですか?

WEEKLY COLUMN

『ハリー・ポッター』シリーズに見る、愛と人間の複雑性

◯文=安藤エヌ

今週の「金曜日の編集部」コラムを担当させていただく、安藤エヌです。

映画ライターでもある私にとって金曜日というのは映画を観る日、というイメージがあります。週の終わりにお酒あるいは温かい飲み物を飲みながら、部屋を暗くして映画を観るのが好きな私にとって、フライデー・ナイトはけっこう特別な時間だったりします。

最近の楽しみといえばもっぱら、4月8日に公開される『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』です。シリーズの前2作をこれまでに数えきれないくらい繰り返し観て、すっかり虜になってしまったため、およそ3年越しの新作に心踊る日々を過ごしています。

ファンタビもそうなのですが、ハリー・ポッターを含むシリーズを通して言えることは、この一連の作品群たちが「愛と人間の複雑性」を描いた話なのだ、ということ。私たち魔法が使えない通称「マグル」の人間たちにとって、魔法を使う彼らはとても魅力的に見えますし、憧れの対象でもあります。……のですが、深く物語を知れば知るほど、彼らは「ただの人間」なのであり、非常に「人間くさい愛」を抱いていることが分かってきます。私はその、魔法というもので平凡な現実世界を生きる者たちと隔てた世界に生きていながらも、人間としての愛おしさを持つ彼らのことが好きなんだなあ、と改めて強く思います。

人間を描く物語において愛とは普遍のテーマだと思うのですが、もちろん、それぞれに描き方が違う。確執や執着を描く場合もあるし、耽溺したり逆にいえばドライな愛を抱くキャラクターもいる。私は映画を通して、さまざまな人の中にある愛を知り、こんな愛の形もあるのだ、ということを知る歓びを得ているのかもしれません。複雑であればあるほど、人間は輝く。なぜならそれが「人間であることのアイデンティファイ」になるから。

人間という生き物に対して、愛も憎たらしさも併せ持つ。愛憎半ばの感情を持て余し、映画を観て涙することが、私を人間たらしめているのかもしれないと思い、つくづく映画というものは奥深い芸術だと思うこの頃です。

musit編集部